HOME | Colorful! 100色こうち旅

Colorful! 100色こうち旅

タイトル

 羽田を立ち、高知龍馬空港に降り立ったその日、静かな雨が降っていた。「南国だし、晴れているはず!」と勝手に思い込んでいた私は雨具一切を持って来ておらず、傘を買おうか一瞬迷ったけれど、「まあ、そのうち晴れるだろう」と市内に向かうバスに飛び乗った。旅の高揚感のなかにいて「濡れたって平気だもん」とすら思っていた。のどかな風景のなかすれ違う路面電車、車中に響くほのぼのとした言葉。「あれ、初めて来た場所なのに、なんだか懐かしい……」。車窓を流れる景色も、柔らかな方言も、私が生まれ育った熊本とどこか似ていて、ほっこりとした居心地のよさを感じていた。
 雨は結局、その日中(もっというと翌日も)降り続いたけれど、そんなことはまったく気にならなかった。

 今回の女子旅をナビゲートしてくれたのは、高知在住の友人・ユリコさん。関東圏からの移住者である彼女の目線は、生粋の高知県民とは少し違っているように思えて興味深い。たとえば、「高知にはモーニング文化が根付いているの。ぜひ行こう」と誘ってくれた街の喫茶店で。最後に出てきた日本茶に「ん? 喫茶店でお茶が出るのって珍しくない?」と、目を丸くしている私に「これって高知ならではの文化だと思うの。コーヒーだけオーダーしても最後には必ず出てくるんだよ」と、嬉しそうに(そしてちょっと誇らしげに)話すユリコさん。もうすっかり高知の人なんだね。なんでも、お店ごとに昆布茶とかオリジナル茶とか、いろんなお茶が出てくるらしい。きっとお遍路さんに対して、食べ物や飲み物を(ときにはお布施も)提供する『お接待』に通じる、おもてなし精神が根付いているからなのだろう。

 高知に行くからには、四国霊場を訪れてみたいという気持ちが強くあった。白衣(びゃくえ)を身に付け、金剛杖(こんごうづえ)を持って一心不乱に歩く……なんて本格的なお遍路さんにはなれないけれど、昔から日本人を惹きつけて止まない「巡礼」という行為のさわりだけでも体験してみたかったのだ。
 真言宗の開祖である空海ゆかりの四国霊場88カ所のうち、高知には16の寺がある。今回は縁あって、四万十町にある「37番札所 藤井山 五智院 岩本寺」を打つことができた。※打つとは「札所に参る」という意味なんだって!

 巡礼にまつわる言葉に「同行二人」というものがある。不勉強な私は「どうぎょうににん」と読むことを篠田節子さんの著書『冬の光』を読んで知った。同書に、同行二人を解説する、こんな台詞が出てくる。
「お遍路さんっていうのは、大師様に守られて、大師様と二人で巡拝しているって、そういう意味なんだよ」

 岩本寺に向かう途中、白衣を身につけた年配の女性とすれ違ったとき、この文章が浮かんできて、とっさに会釈した。すると、その女性も律儀にお辞儀を返してくれた。相手からすると挨拶みたいなものなのだろうけれど、単純な私は、道端で大師さまとお会いできたような気がして、清々しい気分になったのだった。

 その後、岩本寺の境内で「ありがとう、ありがとう」と、まるで念仏を唱えるように手を合わせ、つぶやいている自分がいた。なぜだか、感謝の気持ちがふつふつと湧き上がってきたのだ。人との縁、何よりこうして高知にいて、ユリコさんに名所を案内してもらえていること、元気で働けていること、もっというとただただ「生きている」ということが尊いことに思えた。

 岩本寺といえば、本堂の天井画でも有名。昭和53年に新築した際、全国から公募した575枚の絵が天井に貼られているのだ。花鳥風月といった自然を描いたものや、誰かの肖像画(なかにはマリリン・モンローもあった!)など、色とりどりの絵を見上げていると、時を忘れそうになるほど楽しい。でも歴史的な寺の天井にマリリンの絵って……。その楽しいミックス感(=懐の深さ?)にちょっと感動すら覚えた。

 気持ちが満たされた後は一休み、ということで、岩本寺のほど近くにある「古民家カフェ 半平(はんぺい)」へ。こちらは、広大な敷地に建つ、明治期に建てられた築百年以上の古民家をリノベーションしたギャラリー&カフェ。運営には四万十町役場と四万十町観光協会が関わっているのだそうだ。古きよき時代の建物を町ぐるみで守り、さらに観光資源として活かしているって素敵なこと。それに、昔から人の心のより所であった霊場と、現代の癒しスポットであるカフェが小さな町のなかで共存しているって、すごく自然なことだと思う。
 高知って古いものと新しいものが無理なく融合している。この「無理なく」ってところがすごく大切。居心地のよさにつながっている所以だろう。

 平日ということもあり「半平」で庭が見渡せる特等席に座ることができた私たちは、自家製ジンジャーエールと抹茶を注文した。私は「自家製」という言葉にとても弱い。もしそこで逃してしまったら一生後悔する気がするから! しかも「生姜の生産量は高知県が日本一」ということも、すでにインプット済みだったので「もう、飲むしかないでしょう」とオーダーしたのだけど、これが大正解だった。炭酸控えめの優しい甘さが喉に心地よく、飲んだ3秒後くらいに鼻からフワーッと生姜の爽やかな香りが抜けていく。
 古民家のなかに身を置いているだけでも「おばあちゃんの家に夏休みに遊びに来た孫」みたいな穏やかな気分になっていたのに、プラス、この素朴な味わい……。岩本寺からの流れもあって、どんどん魂がリラックスし、心が弛緩していくのを感じた。

 それまでユリコさんと私はお互いの仕事とか、恋とか、夢とか、いろんなテーマについて夢中になって話していたし、割とアクティブに動き、どこに行っても写真をバシャバシャ撮っては、「写真をメインに撮りに来た人たちなんですか?」というくらいの勢いで、そのアングルの良し悪しを競い合うようなところもあったけれど、ここでは割とじっとしていたし、あまり口を開かなかった。けれど、その沈黙がとても心地よかった。

 なんでも四万十町は、おしゃれカフェの密集エリアらしく、県内外からおいしいコーヒーやスイーツを目指す人たちが集まってくるのだという。次に高知に来るときはもっとゆっくり滞在して「はしごカフェ」をしてみたいなと思った。

 それにしても人はなんのために旅に出るのだろう? 私はときどき考える。全都道府県を制覇したいとか、海外の世界遺産を可能な限り巡りたいとか、行った場所の数を増やしたい系の人もいるだろうけど、私の場合、「自分にしっくりくる(=好きな場所)に身を置きたい」という欲求がとても強い。旅はその場所を探すためのものだと思っている。
 だから、気に入った場所には何度でも通いたい派。そして行くたびにお気に入りの店を開拓し、友だちと呼べる人を増やし、もはや「旅」ではなく「帰省する」みたいな気持ちになれるのが理想なのだ。
 今回、初めて高知に足を踏み入れた瞬間、感じた「居心地のよさ」は旅している間、ずっと続いていて「もっと知りたい」「また来たい」という気持ちがどんどん強くなっていった。なんだか「恋はするものではなくて、落ちるものだ」という、あの小説(ちなみに江國香織さんの『東京タワー』です)の名言みたいに、気がつけば、高知に恋に落ちてしまっている私がいた。

 旅の最終日、どうしても行きたかった「牧野植物園」にも少しだけ寄ることができた。初日とは打って変わって気持ちのいい晴天。高台にある園から、キラキラ輝く高知の街を見下ろしているだけで胸が高鳴った。だって、この街のそこここに、まだ行ったことがない場所や、出会っていない人たちが大勢いるんだもの!
  私の高知の旅は始まったばかり。そう、恋はいままさに始まったばかりなのだ。次はもっと長い休みを取って、ちゃんと雨具も準備して……もっともっと深く知るために、高知に戻って来たいと思う。

Special Thanks:Ryo Mori

冬の光
旅の1冊
『冬の光』(篠田節子著/文藝春秋/1,782円)
今回の旅の中で、何度か思い出した小説がこちら。直木賞作家・篠田節子さんが、ある男の人生を「巡礼」という行為と重ねながら描き出す壮大な人間ドラマだ。四国から帰京するフェリーの上で男が消えた。葬儀を終えた後、男の娘は、父が遍路に出た理由を知りたくて自らも四国の地へと赴く。彼の足跡を巡るうち、旅の真実が見えてきて……。学生運動や東日本大震災に翻弄されたひとりの男の一生を、彼と、娘の目線で描いた感動長編。生きることの意味や、家族のあり方について考えさせられる。そして読後、旅に出たくなる。
<プロフィール>
高倉優子(ライター・ブックレビュアー)
熊本県出身、東京都在住。新聞社勤務を経てフリーライターに。
著名人のインタビューや、書籍の企画・執筆をはじめ、ブックレビュアーとして、書評、文庫解説の執筆、文学賞の選考などを行う。
ウェブサイト「TAN-SU」で、心に残るエピソードと1冊の本を紹介するエッセイ「東京レター」を連載するほか、ブログ「きょうの取材ノート」を日々更新。書評ユニット「東京女子書評部」主宰。

このページのトップ

(公財)高知県観光コンベンション協会 このホームページに掲載している写真、情報などの無断転載を禁じます。
Copyright © Kochi Visitors & Convention Association All rights reserved. Japan.