幕末と呼ばれる時代

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 日本の歴史の中で、武家の政権は鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府と3回ありますが、通常「幕末」と言えば江戸幕府の末期を指します。
 江戸幕府は、オランダや清(中国)などの限られた国とだけ国交を持つ鎖国と呼ばれる政策を採っていました。しかし、江戸幕府の後期に当たる1800年前後から、他の欧米諸国の船が日本近海に現れるようになります。そして、隣国の清では1840年にイギリスとアヘンを巡って戦争になり、敗れてしまい、不平等な条約を結ばされました。
 こうした情報は日本にも届き、欧米諸国と日本の軍事力の差を知ることになりました。船だけを比較しても、江戸幕府は各藩に大きな軍船の建造を禁止しており、鉄でできた蒸気船など想像もつかない物でした。
 そして嘉永6年(1853年)6月3日、日本にも蒸気船に乗ったアメリカ人のペリーが来航し、日本に開国を要求しました。一般的には、この年から幕末が始まったと考えられています。
 ペリー来航直後は、アヘン戦争の影響もあって、外国人を日本に入れずに打ち払え、という「攘夷」を唱える意見が多くありました。土佐藩でもペリー来航直後は、攘夷を藩の方針としていました。
 しだいに、幕府では日本を守れないと考える下級武士や有力農民が現れ、彼らは政治の仕組みを変える必要があると考え、天皇を中心とした統一国家を創ろうとしました。こうして江戸幕府は、ペリー来航からわずか15年で崩壊し、近代的な国家を目指した明治政府が誕生しました。

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