文字数不問(30字以上~制限なし)のエピソード
(りきゅう)
亡くなりましたが、頑固なオヤジの話。私の同級生が帰省中にカツオのタタキを買いに来てくれましたがタタキを売りません。
「今日のカツオは刺身で食え!!」の一点張り笑
お客さんが、タタキや言いようのやしタタキ作りや。言うても「タタキなら明日食べれるけん刺身にせえ!」
結局、刺身で次の日またタタキ買いにきました笑でも「おんちゃん、刺身美味しかったちゃ!」ってどちらも満足顔でした。
(金谷祥枝)
夫が高知へ転勤になりました。引越し作業が一通り終わり、夕食をとるために街へ出かけたときのことです。
「たっすいがはいかんぜよ」と書いてある看板が目に留まり、子供と「たっすいがってどう言う意味なんかね」と話しながら歩いていると、通りすがりに「薄いって意味ですよ」と教えてもらった事があります。
「え?」と立ち止まり振り返りましたが、その人はそのまま歩き去ってしまいました。「高知」と聞くと「たっすいが」良い思い出です。
(Carol)
地域おこし協力隊だった8年前。キンメダイの水揚げを見学しに室戸へ。初めてみる光景、大漁のキンメに圧倒された気分冷めやらぬ中、漁師さんのおうちを訪問、翌日の漁の準備をお手伝い。その後、漁師のお父さんを囲むファミリー10名程度の大宴会。
このおうちでは、珍しいことではないらしい。
当然のようにふるまわれるのは、キンメダイ。お母さんのさばきとお料理で、お刺身はもちろん、しゃぶしゃぶ、煮つけ。
すごいご馳走を囲みながら、にぎやかであたたかな大家族の空間。そして、食べや~食べや~の大合唱。
おなかも、こころも満腹になり、さすがに食べきれなくなって、最後はお刺身をお持ち帰り。
とはいえキンメは足が速く、早く食べてあげないと…しかしおなかがいっぱいで今夜はムリ。ああこのお持ち帰りキンメ、どうしよう…
はっと閃いて、たまたま手元にあった塩こうじをまぶし、たっぱを冷蔵庫へ。
2日後。たっぱのキンメ、まったく匂いもなく、プリッとしている。さらに食べてびっくり!
新鮮なお刺身とはまた違った、旨味たっぷりのキンメに生まれ変わっていたのです。振舞ってくれた漁師さんのお嬢さん川口真穂さんに報告しました。
そして。なんと商品化までしてくれたのです。それが「漁師の食卓 華金目の塩糀まぶし」
https://www.ryoshi-syokutaku.com/items/50939062
事業主の川口さんがお父さん、お母さんの協力を得て、おいしい商品に仕立ててくれた上に、グルメの賞を取得し、販路を広げてくれています。すごすぎる…
なお、一番最初の閃きのきっかけとなった塩こうじは四万十町の老舗、井上糀店のもの。確か、この時の塩こうじも、たまたま井上さんの蔵に遊びに行ったとき、お土産に持たせてくれた記憶。(商品化にあたっては、別の塩糀を使っています、為念)
高知では、かように家族ぐるみで、食べること=おもてなしを惜しみなく振る舞って、異邦人のこころと胃袋をわしづかみにします。
さらに、その幸せを、未知の人に広げる事業にまでしてくれる。こんなあんなが、今、高知で暮らすことの礎になってるとしみじみ思うのでした。
(ストレスブタ)
今から10年ぐらい前の話です。高知県の中ノ島漁港で釣りをしていたときに、超ご機嫌な漁師さんから話しかけられて、色々話をしていると突然「これ持って帰り」と船から50cmぐらいの青物(魚種は忘れました)を出してきてくれました。
少し話をしただけで、立派な肴をもらうわけにもいかず、何度も断りをしたんですが、結局ごり押しでもらう形になりました。
もらったままでは気が引けるので、後日数週間後に中ノ島へ行き、偶然また同じ漁師さんに会うことができたので、魚をもらった話をして、お帰りに持ってきていた日本酒を漁師さんにお渡ししました。
漁師さんは当時のことを一切覚えてなくて、こちらから話をしてる間は、漁師さんの顔に「?」がいっぱい出てたのは言うまでもなく、日本酒を渡したときも戸惑いの顔をされてましたが、この一連のことは、今も忘れることができない思い出になっています。
川柳(5・7・5形式の1句)+それにまつわるエピソード
(こなじい)
初ガツオ
戻りガツオと
ケンカする
(ぽんた)
目の前で
愛でてたツガニ
汁になる
(バイカオウレン)
注文と
違う商品
猛プッシュ
(きん)
「ワンディッシュ」
皿鉢料理も
確かにね