土佐を脱藩した坂本龍馬は幕臣.勝海舟と出会い、師と仰ぎ人生の指針を定めた。
龍馬は赦免後まもなく、家族に「日本第一の人物勝麟太郎殿の弟子」「天下無二の軍学者勝麟太郎という大先生の門人」になったと手紙を書く。その様子は力強く、喜びにあふれている。幕臣でありながら諸国浪人らとも交わり、日本のために動いた勝海舟。
「毎日毎日以前から思い描いていたことに精を出している」。つまり龍馬は海舟門下で遥海軍についてのことクに勤しんでいた。わずか2年の勝との交わりで、日本という国の在り方や海援隊海軍化の構想の基礎を培ったのである。
龍馬に大きな教示を与えた海舟の考え方や動き、龍馬との関わりを探りその人物像を考察する。