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高知県立歴史民俗資料館
高知県の歴史系総合博物館です。
2階には長宗我部展示室を設け、長宗我部氏関連資料を展示。常設の総合展示室も資料を入れ替えて土佐の歴史・文化・くらしを紹介しています。
館の立地する岡豊山は戦国時代の長宗我部氏の居城跡「国史跡岡豊城跡」で、一角に山村民家を移築している「岡豊山歴史公園」です。
散策しながら城跡や民家の学習、また桜をはじめ四季折々の草花を楽しむこともできます。
33.596066
133.62349
2
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ゆすはら座
昭和23年に建てられ、平成7年に修復、移転した高知県唯一の木造芝居小屋。大正ロマン漂う和洋折衷の建物で、桟敷席や花道も備えている。
33.391655
132.9275
3
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安芸市立書道美術館
安芸市は古くから書道が盛んで、優れた書家を数多く輩出。その風土の中から昭和57年に全国初の公立書道美術館として開館しました。川谷横雲・尚亭兄弟や手島右卿などの安芸市出身の書家作品をはじめ、漢字・かな・篆刻などの第一線で活躍する書家の多種多様な作品を約1,600点収蔵。常設展では約100点を展示しています。毎年、公募展「安芸全国書展」を開催。
33.519463
133.91316
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岡田以蔵の墓
幕末四大人斬りの一人とされ恐れられた志士、岡田以蔵。非凡な剣技を身に付けたがゆえに、土佐勤王党の一員として、ただひたすら人を斬らねばならなかった。彼が眠るこの場所には、父義平、勤王党員だった弟登稔などの墓も並び建っている。
33.580276
133.55217
5
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坂本龍馬先塋の地
南国市領石、才谷への分かれ道に「坂本龍馬先生先塋之地」と刻記された大きな石碑が立つ。そこから龍馬の案内板をたどり2.4kmほど進んだ先に、龍馬公園として整備された場所がある。公園の奥には坂本家2代、3代の墓があり、200mほど離れた場所に龍馬の遠祖、初代太郎五郎の墓がある。
33.634235
133.65233
6
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雲の上のギャラリー
雲の上のホテルと温泉を繋ぐ渡り廊下を兼ねた、木橋ミュージアムである。 内外装に町内産木材をふんだんに使用、約170m?の広さがある。 建築家・隈研吾氏の設計、2010年設立された。
33.387394
132.94403
7
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山内容堂像
幕末の土佐藩主・山内容堂の銅像が、山内家の藩主を代々祀った山内神社境内に建つ。徳川慶喜に大政奉還を進言した容堂が、歴史的な大偉業である大政奉還の実現を慶んで、ギヤマンの杯を片手にあぐらをかいている様子を再現。酒と詩歌におぼれる悠々自適な生活を好んだ人物として有名な容堂を偲んだ座像である。
33.55545
133.53185
8
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山田堰
物部川の本流にある灌漑用堰。江戸時代の前期、野中兼山が奉行となって構築したもので、堰堤は左岸の神母木[いげのき]から右岸の小田島まで斜めに川面を横ぎり、延長約350m、幅11m、高さ1.5m。山田堰跡の西岸上段には兼山を祠る春野神社がある。
33.612087
133.71262
9
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長生沈下橋
キャンプやカヌーのメッカとして、夏場は多くの観光客が訪れる人気の沈下橋。全長120m、普通車の通行可能。
33.194447
132.79105
10
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木造南仏上人坐像
木造南仏上上坐像は県指定の文化財で像高82cm、寄木入り、玉眼入り。鎌倉時代の作と推定されている。坐像は四万十市郷土博物館で収蔵中。
32.996834
132.93068
11
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山内浩像
龍河洞鍾乳洞入り口の階段手前に建っているのは、神秘的な龍河洞に関心を持ち、洞内探検に果敢に挑んだ山内浩の銅像である。日本の洞穴学とケービングの元祖である山内は、高知県の教員として在職中の昭和6年、千変万化をきわめ延々4kmに及ぶ前人未踏の奥洞である龍河洞を発見した。
33.60321
133.74524
12
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坂本龍馬像
近代日本の道を大きく開いた幕末の志士坂本龍馬像が太平洋に向かって立っている。
昭和のはじめ、本県の青年有志の募金活動によって建設された。本山白雲の作。
33.498665
133.5755
13
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野中兼山邸の碑
高知城追手門の東側、堀の前に石碑がある。
33.561558
133.53326
14
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第35番札所 醫王山 鏡池院 清瀧寺
723年(養老7年)行基が自刻の薬師如来を安置して建立したのが起こり。後に空海が四国霊場に定める。本尊の薬師如来立像は国指定の重要文化財。寺宝に、県指定文化財の銅造鏡像4面がある。(真言宗豊山派 山号:醫王山)
弘法大師空海がご修行のおり、満願の日に金剛杖で壇前を突くと清水が瀧のように湧き出して鏡のような池になったことから、醫王山鏡池院清瀧寺と名づけたと伝わる。
境内には、大きな薬師如来立像があり、台座の中の「戒壇めぐり」をすると厄除けのご利益があるといわれている。
33.512535
133.40947
15
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開成門
慶応2年(1866年)、土佐藩が殖産興業・富国強兵の目的で開成館を現在の高知市九反田に創設。その後、明治3年には寅賓館と改称され、外来客の接待をするために使われた。翌年には維新三傑の西郷隆盛・木戸孝允・大久保利通を迎え、薩長土首脳会議が行われている。その表門は三度の移築を経てなお昔のままに保存されている。昭和32年、県の有形文化財に指定。
33.563667
133.5254
16
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香宗城跡
太郎秋通を初代として400年間栄えた土佐の名族香宗我部氏の居城の跡。当時の土塁の一部が残っている。
現在では八幡宮を祀っている。
33.55856
133.72319
17
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白木谷国際現代美術館
白木谷の山里にある異色のミュージアム。県展無鑑査の洋画家で、中央画壇でも高い評価を得る武内光仁氏が愛情を注いで完成させた手造りの美術館で、屋外展示場へとつづく遊歩道は車いすでも通行でき、休憩所も完備。
33.620663
133.59819
18
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芸西村文化資料館・筒井美術館
1階「芸西村文化資料館」では、江戸中期から昭和初期頃まで使われていた漁具・農具・民具などを展示。また地曳網漁法やハウス園芸の模型もご覧いただけます。芸西村出身の幕末の志士なども紹介しています。
2階「筒井美術館」には、芸西村出身の洋画家筒井広道氏の絵の変遷が確認できる内容となっています。
33.527298
133.80911
19
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木造金剛力士立像
この金剛力士像は谷地の法華寺(廃寺)に伝えられてきたものである。像高は向かって左の阿形が約204cm、右の吽形が200cm。ヒノキの寄木造、彫眼の彩色像で肉身部を朱、裳を黒色とする。全体的にバランスがよく、顔面上半身は力強い表現に満ちているが、下半身はやや上体との均衡を欠き、指の表現も五本とも同形同大で変化に乏しい。未完成といわれるゆえんであるが、地方の金剛力士像としては秀作である。
制作は室町時代かやや時代のくだる感がある。
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20
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勝間沈下橋
四万十川で唯一、橋脚が3本で作られた沈下橋。川幅が広く、流れも穏やか。右岸側は河原でキャンプ地にも向いている。2003年には、釣りバカ日誌14のロケ地となり、釣りファンにも有名なスポット。全長約171m、普通車の通行可能。
33.054844
132.81717
21
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前浜掩体群
高知龍馬空港南の田園地帯に、大きなかまぼこ形のコンクリート構造物が残されている。これは掩体と呼ばれ、第2次世界大戦中に敵の攻撃から飛行機を守るために作ったものである。現在は7基だけが残っており、一番大きいものは幅42m、奥行き22m、高さ10mを誇る。
33.542805
133.66222
22
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中岡慎太郎像上展望台
室戸岬の中岡慎太郎像の上にある展望台。展望台からは、果てしなく広がる太平洋と隆起したダイナミックな大地を望むことができる穴場絶景スポット。恋人の聖地の1つ。
33.24611
134.17648
23
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中岡慎太郎像
坂本龍馬と共に薩長同盟を成し遂げ、陸援隊長として活躍した中岡慎太郎の銅像。本山白雲の作。
33.245895
134.17604
24
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明治初期小学校授業風景図絵馬
明治初期における小学校の授業風景を、高岡の走寄に住んでいた絵師の久保南窓(柳太郎1848~1917)が揮毫し、明治11年高岡東小学生徒惣中から、松尾八幡宮へ奉納したものである。
教場の内部が緻密に描かれており、学制発布直後の様子を知るうえで、学術的に貴重である。
33.51042
133.42519
25
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久礼八幡宮
漁師たちの信仰が厚く、漁の無事を祈る女性が多い神社です。
毎年、旧暦の8月14日から15日には、高知県の土佐三大祭りの一つ「久礼八幡宮秋季大祭」が執り行われます。
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古今集の庭・紀貫之邸跡
土佐日記の作者、古今和歌集の撰者として知られる紀貫之が、国司として赴任したことにちなんだ場所。古今和歌集の和歌32首にちなんだ草木と曲水の流れが配され、平安朝を想わせる。紀貫之邸跡も隣接している。
33.603443
133.6471
27
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豊永郷民俗資料館
私達の先祖が使用した農耕用具、山林用具等の民具は、貴重な先人の汗と知恵が滲み出る生活遺産であるとともに、貴い文化遺産でもあります。
当資料館に収蔵されている 10,000点あまりの中から、2,595点が昭和57年4月21日付で、土佐豊永郷及び周辺地域の山村生産用具として国の重要有形民俗文化財に指定されています。
2017年GOOD DESIGN AWARD 受賞
33.792664
133.76956
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中半家沈下橋
JRの鉄橋と抜水橋(半家大橋)、沈下橋という3つの橋が並行に架かる珍しい風景。フォトスポットとしても人気。全長約126m、普通車の通行不可(二輪車以下は通行可能)。
33.207478
132.79329
29
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浄貞寺
33.508472
133.89507
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高知県立美術館
平成5年の開館以来、県民に愛される美術館です。建物は壁面に土佐漆喰、屋根には土佐瓦を用いるなど伝統の技が活かされています。展示室以外は無料で入館でき、回廊などに展示されている現代美術作品の鑑賞や、アート情報コーナー、ミュージアムショップなどを自由に楽しめます。併設のホールでは四季折々の映画上映会や演劇、ダンスなどすぐれたパフォーマンシングアーツを上演しています。
33.56111
133.57347
31
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カルスト学習館
まるで白い羊の群のようなカレンフェルト、草原の中にできた窪地ドリーネなど独特の地形を持つ四国カルスト。この形成の仕組みや、天狗高原や周辺の山々、そこに咲く高山植物・花木や生き物などを学習する施設。良く晴れた日には、この館のベランダから室戸岬や足摺半島も見えます。
33.476803
133.00351
32
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中岡慎太郎館
坂本龍馬と共に薩長同盟締結に尽力し、維新の礎を築いた北川村出身の中岡慎太郎。ここでは、彼の生涯をドラマ仕立ての映像等で振り替える。
慎太郎ゆかりの品々など、貴重な史料も展示。
記念撮影用に慎太郎裃も大人気。
33.456837
134.05646
33
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琴平神社【土佐市】
もとは清瀧寺上方の山中に祀られていた金比羅神を、天保2年(1831)に移転し再建した建物。明治初年の神仏分離によって清瀧寺から独立し、地域の氏神となっている。県内の近世社寺建築の中でも数少ない形式であり、当時の建築技術を示すものとして貴重である。
33.51265
133.40977
34
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野良時計
明治20年ごろ、農作業をする人のために畠中源馬がすべて手作りで作った時計。
現在は技術者不在のため常時動いているわけではないが、動かすことは可能。
33.515755
133.91148
35
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浦戸城跡
高知県指定史跡の浦戸城跡は、長宗我部元親が戦国時代に本山氏から切り取った城である。元親は豊臣秀吉に降った後、岡豊城から浦戸城に本拠を移した。関ヶ原の戦い後、山内氏が入国してくると、長宗我部遺臣が浦戸城に立て籠もり抵抗した。その時討ち取られた273名の霊を導くため、近くに六体地蔵が建立されている。
33.49695
133.57196
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室戸市吉良川町伝統的建造物群保存地区
木材の集積地として古来より栄えた吉良川のまちは、大正時代になると製炭技術が発達し、日本を代表する良質な備長炭を産出。その交易により昭和初期にかけて繁栄した。町内には当時の繁栄ぶりがうかがえる商家や町並みが多く残る。土佐漆喰や水切り瓦、いしぐろなど当時の面影を今に伝える。
33.33084
134.10004
37
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清滝寺楼門の天井画
久保南窓((柳太郎1848~1917)の明治33年の作品で、一枚の大きさは縦165cm、横180cm、特製の天井板四面に竜を中心に配し、両側に天女の舞い姿が雄大に描かれている。天井画としては市内最大級のものである。
現在は楼門から取り外し、宝物殿に保管されている。
33.512516
133.4095
38
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キラメッセ室戸 鯨館
室戸で栄えた古式捕鯨を、当時の様子を描いた絵図やアニメーションなどでわかりやすく紹介します。
バーチャルリアリティの勢子船乗船体験が大人気です。
33.30644
134.1102
39
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岡豊城跡
戦国時代、土佐を統一し、四国制覇を試みた長宗我部元親の居城であり、平成20年に国指定史跡となった。
山頂の詰を中心とした主郭部分は発掘調査に基づいて公園整備されている。
中腹には県立歴史民俗資料館があり、常設展示で長宗我部展示室も設けられている。
33.59493
133.62242
40
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第36番札所 独鈷山 伊舎那院 青龍寺
弘法大師が恩師を偲んで開基したと伝えられる。本尊は波切不動明王で漁民の信仰が厚い。本堂から約500m南方(海側)には、奥の院があり、森厳な行場として信仰を集めている。
弘法大師が、唐から日本に帰国する際、真言密教の奥義を授けてもらった青龍寺の恵果和尚の恩に報いるため、「約束の地に飛んで行け」という願いをこめ、東の空に独鈷を投げた。
帰国後、この地の老松に独鈷が刺さっているのを見つけ、建てたとされている。
33.426
133.4521
41
.
四国自動車博物館
アバルト、アルファロメオ、ランチアなどのヨーロッパのロードレーサー等を中心に国産車トヨタ2000GT、スカイライン2000GT-R、モーターサイクルではホンダCR93、RCB481Aなど稀少なコレクションが二輪、四輪あわせて約70台
33.569416
133.70103
42
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芸西村伝承館
芸西村は黒糖の名産地であり、サトウキビの絞り汁を煮詰める昔ながら伝統製法を守ろうと活動している。この伝統製法の体験が可能で、手作りの黒糖はお土産として持ち帰ることができる。
33.52868
133.81946
43
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藤村製絲記念館
絹文化を支え、長きに渡って操業を続けてきた製糸工場の跡地に生まれた記念館。2005年に操業を停止した工場の跡地には、近代の製糸業に関する資料などが展示されている。
33.427917
134.02539
44
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第25番札所 宝珠山 真言院 津照寺(津寺)
807年(大同2年)弘法大師空海の開基。本尊は、空海が刻んだ延命地蔵尊(別名 かじとりじぞう)。海上安全、豊漁に御利益があると言われる。
33.28822
134.14842
45
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河田小龍生誕地
画人としてだけではなく、儒学などの広い知識を持っていた小龍のもとには多くの門人が集まった。その中には亀山社中・土佐海援隊で活躍した長岡謙吉、近藤長次郎、新宮馬之助らがいる。11年にも及ぶ漂流生活ののちアメリカから帰国した中浜(ジョン)万次郎から聞いた外国の話を『漂巽紀畧』をまとめた。安政元年(1854年)の冬に小龍と会った龍馬は、世界状勢を聞き、大いに啓発されたという。
33.55934
133.54494
46
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香美市立やなせたかし記念館 アンパンマンミュージアム&詩とメルヘン絵本館
平成8年7月開館。香北町出身の漫画家やなせたかし氏の記念館。アンパンマンの絵本原画やタブローを展示した4階「やなせたかしギャラリー」をはじめ、アンパンマンの住む世界をジオラマで再現した地階「アンパンマンワールド」等がある。
33.647663
133.78369
47
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後藤象二郎誕生地の碑
1838年(天保9年)に象二郎はこの地で生まれた。生家は馬廻150石の上士。義理の叔父吉田東洋の死後、その志を継いで土佐藩の近代化につとめ、長崎では勤王党の坂本龍馬と手を握り、山内容堂に説いて大政奉還を実現。維新以後は民権運動にも関係した。
33.55646
133.53723
48
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馬路森林鉄道
コミュニティーセンターうまじ(馬路温泉)前の観光用森林鉄道。西谷川沿いを周回する約300mのコースは自然の地形を十分生かし迫力十分。子供達の人気が高い。
33.557068
134.04909
49
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永瀬ダム
四国山地に源を発し太平洋に注ぐ物部川に築造された多目的ダム。
ダム湖周辺には、桜の見所が点在し、中でも奥物部ふれあいプラザから大栃公園にいたる遊歩道周辺は散策に最適。
33.705097
133.86574
50
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山中家住宅
本川地区の西部、長沢ダム湖上流の山間の越裏門に位置する県下最古の山間民家。昭和6(1769)年の位牌が残るところから見て、18世紀前半(江戸時代中期)の建築と指定されている。内部を見学の場合は要予約。
33.730366
133.23643
51
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青源寺
青源寺は、山内家筆頭家老深尾家の菩提寺。庭園は「土佐三大名園」の一つで、禅的風格を備えた池泉式借景庭園。県指定の名勝。
33.49724
133.28809
52
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四万十あちこちたんね隊
広大な面積を誇る四万十町の魅力を満喫したいなら、私たち「四万十あちこちたんね隊」にお任せください!町内の素晴らしい景観や史跡、文化財といった豊富な観光資源を、一つ一つ丁寧にご案内します。
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53
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坂本龍馬像(シェイクハンド)
龍馬記念館前に立つ、右手を差し出した坂本龍馬の銅像。犬猿の敵対関係にあった坂本龍馬と後藤象二郎が大政奉還を前にすべての怨念を捨て、人々の幸せのために握手したと言われているが、そこからシェイクハンド龍馬像の発想が生まれた。「シェイクハンド=握手」は、身分に関係なく同じ志を持つ者が協力することで平和で平等な国づくりを目指した龍馬の精神を現わしている。
33.496555
133.57187
54
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堂の口開け
津野町宮谷地区にある明王寺薬師堂の開帳日に行う行事。地区民が藁を持ち寄り、「魔よけの大わらじ」や「注連縄」をつくり奉納する。この「大わらじ」は国道197号沿いの地区の入口に飾られている。
33.567238
133.54367
55
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三島神社の絵馬
幕末から明治へかけて土佐を代表する絵師であった河田小龍が「源平合戦」を描いた絵馬で、明治13年(1880)高岡村芝惣中の奉納である。
縦139cm、横198cmの大作で、同時期に同形のものが松尾八幡宮にも奉納されている。
高名な河田小龍が揮毫した貴重な作品である。
33.50009
133.42316
56
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高知市立自由民権記念館
「自由は土佐の山間より」といわれるように、近代日本の歴史に大きな役割を果たした土佐の自由民権運動。
日本最初の民主主義運動にかけた、土佐の先人たちの熱い思いが溢れている。
33.543133
133.55026
57
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香美市立やなせたかし記念館 詩とメルヘン絵本館
詩と絵と漫画が好きだから…やなせ氏の一途な思いから生まれた雑誌「詩とメルヘン」。その雑誌にまつわる作品を中心に、もう一つのやなせたかしワールドを紹介するギャラリー。年2~3回の企画展では、国内外の絵本作家等の原画展も開催している。
33.64701
133.78452
58
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中濱万次郎生誕地・生家
高知県土佐清水市中浜はジョン万次郎が14歳まで暮らした場所である。木造平屋、茅葺屋根の生家は、現存している生家の写真をもとに土佐清水市内の有志の働きによって集められた募金などで復元された。
32.759342
132.96458
59
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三嶋神社
梼の木が多いこの地を、津野山郷の開祖・津野経高が梼原と名づけ、居城を築き梼原宮首に伊豆(静岡県)より三嶋神社を観請したと言われている。秋には、国の重要無形民俗文化財に指定されている津野山神楽が奉納され、境内には、津野家代々を祀る「津野神社」、樹齢約400年の「朝鮮松」、桂月大町芳衛書の「鎮座千年碑」、木で作られた「神馬」がある。
33.39643
132.92781
60
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元手古地観音堂の鰐口
この鰐口が手古寺の観音堂に到来するまでの経緯は不詳であるが、銘文からは長宗我部元親軍の阿州白地域攻めの際の戦利品ではないかと考えられている。
また、鰐口の形状には室町時代の特徴がみられる。
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61
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板垣退助像
高知市出身の明治の政治家。自由民権運動を指導し、後に自由党の総裁となる。
33.56071
133.53146
62
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瑞山神社
武市半平太を祀る神社。境内には「花依清香愛 人以仁義栄 幽囚何可恥 只有赤心明」という彼の遺詠記念碑もある。半平太の命日である5月11日にはここで墓前祭が行われている。
33.537125
133.60378
63
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高知公園
山内一豊(やまうちかつとよ)が築城した高知城を中心に形成された歴史公園。
城跡全域が国の史跡で、山内一豊や妻千代、板垣退助の像なども立つ。
季節を花木で感じられ、いつもどこかで鳥がさえずる、街中のオアシス。
[梅のシーズン] 2月中旬~3月初旬
[桜のシーズン] 3月下旬~4月上旬
[紅葉のシーズン] 11月下旬~12月中旬
33.561287
133.5314
64
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塩見俊二像(塩見文庫)
高知県選出の参議院議員として24年間に亘って活躍した塩見俊二は、知識を尊び読書を愛した人物である。塩見が私費で開設した「塩見文庫」(現・高知県立塩見記念青少年プラザ)の建物の前庭に、彼の功績を讃え、銅像が建立されている。銅像としては珍しく、椅子に深く腰を下ろしてくつろいだ形である。その手にある本には「愛をもちて理想を成す」と刻まれている。
33.563576
133.527
65
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お龍・君枝姉妹像
桂浜の坂本龍馬像に向かって手を振る龍馬の妻お龍とお龍の妹君枝の姉妹像。琴ヶ浜野外劇場駐車場東側に建立。
33.51674
133.8042
66
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名教館
文化財にも指定されている藩政時代の建物「名教館」。かつて、家臣の子どもたちに教育を学ばせたいと考えた佐川の領主・深尾氏によって開かれた塾であった。ここで学んだ者は多く、明治維新では、多くの勤王の志士を輩出。また、牧野富太郎らもこの名教館で学んでいる。「名教館」の玄関部分が当時のまま現存しており、現在は館全体も復元されている。
33.499107
133.28828
67
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浅尾沈下橋
越知町鎌井田地区にある全長約121mの沈下橋。周囲を山々に囲まれ、対岸にある鎌井田集落と橋とのコントラストも美しい。夏にはアユ釣りを楽しむ釣り人たちで賑わう。
映画『県庁おもてなし課』『君が踊る、夏』のロケ地にもなった。
映画『竜とそばかすの姫』の舞台のモデルにもなった浅尾沈下橋と鎌井田集落のある越知町は「訪れてみたい日本のアニメ聖地88(2022年版)」に選定されました。
33.567684
133.25583
68
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六條八幡宮(あじさい神社)
県内有数のあじさいの名所として「あじさい神社」の愛称で親しまれている六條八幡宮。
参道や境内周辺には様々な品種、約1,500株のあじさいが彩り、参拝者を出迎えてくれます。
6月には神社周辺の‶あじさい街道"で、ウォーキングを楽しむ「あじさい祭り」が催されます。
33.49822
133.4904
69
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予岳寺
山田城跡に北西1kmにある万松山[ばんしょうざん]予岳寺は、戦国時代の土佐の七守護の一人の山田氏の菩提寺として1457(長禄元)年に建立された。土佐国最古の曹洞宗禅寺と伝えられる。本尊はもと釈迦如来、現在は薬師如来である。
33.617825
133.69643
70
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日根野道場跡
小栗流・日根野弁治が和術を教えていた道場。龍馬も14歳から19歳まで剣術の修行に打ち込んだ。現在は道場跡を特定できるものはないが、築屋敷と呼ばれる場所に開かれたと伝わる。周辺には頑丈な石垣や龍馬が泳いだ鏡川が流れており、当時の風景を思い起こさせる。
33.554512
133.5236
71
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佐川町立青山文庫
幕末維新の生き証人であった、佐川町出身の元宮内大臣田中光顕(みつあき)が収集した志士たちの書や画などの遺筆コレクションをコレクションをはじめ、近世・近代の歴史資料を多数収蔵。坂本竜馬・中岡慎太郎・武市瑞山らの維新関係資料や、江戸時代に佐川の領主であった土佐藩筆頭家老深尾家の資料などを展示。定期的に展示替えを行っているので、展示の詳細はホームページでご確認下さい。
33.49788
133.28876
72
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高岡神社
窪川駅の北西。
窪川の産土神として栄え、江戸時代までは四国霊場の岩本寺を別当寺としていた。社宝に大太刀や筑紫鉾、甲胄、長宗我部元親の銘の残る棟札などがある。
33.221786
133.12483
73
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童謡の曲碑
安芸市を訪れた人が、安芸市自慢の風物に触れられるように市内10ヵ所に曲碑が建立されている。そのうち7ヵ所には音声センサーがあり、童謡を聞くことができる。
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横山隆一記念まんが館
高知市生まれのまんが家・横山隆一を記念して造られたまんが館。代表作「フクちゃん」の原画やユニークな収集品等を展示し、隆一のユーモア溢れる人柄や人生を紹介します。高さ9メートルの魚のオブジェ「魚々タワー」は圧巻。また、草創期のアニメやまんが関連書籍を無料で観覧できるまんがライブラリーもあります。
33.558186
133.54727
75
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旧山内家下屋敷長屋
国指定重要文化財建造物 16代藩主・山内豊範により慶応元(1665)年完成。幕主に元藩主・山内容堂が下屋敷としたものの一部。桁行十七間半、梁間二間半の二階建。下屋敷で警固番を勤めた足軽の詰所であったとみられる。近世の長屋建築で、これだけの規模を持つものは少なく、全国的にみても貴重である。
33.556023
133.53322
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若宮八幡宮
永禄3年長宗我部元親公は本山氏の長浜城攻略にあたり、当社の馬場先で一夜戦勝を祈願し初陣にのぞんだところ、見事にこれを討ちやぶることができた。以来元親公は当社を出陣祈願の社と定め、社殿を出蜻蛉式建築に改めた。
現在は、宗教法人若宮八幡宮として高知市港南地区の総氏神、また厄除け開運の神等として近郷近在の里人から広く信仰を集めている。
33.495026
133.54361
77
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津野町郷土資料館
日常生活で使っていた農具や民具など、津野町内の民俗資料を約3,000点所蔵している。また、2階には新土居遺跡や永野遺跡などから出土した石器や土器、化石なども多数展示している。
33.4475
133.20016
78
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手結港可動橋
約6分かけてゆっくりと開閉する、長さ約32メートルの可動橋。この橋は、土佐藩家老の野中兼山によって作られた手結港の入口に架けられている。港に出入りする船の邪魔にならないように、殆ど橋は空高くそそり立っており、持ち上がった橋の下からの眺めは壮観だ。この橋を渡れるのは、一日のうち約7時間だけである。
33.52848
133.75629
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佐川町歴史の町並み
佐川町上町地区は、江戸時代土佐藩の筆頭家老深尾家の城下町で、主に商人が居を構えた。その佇まいは、現在にも受け継がれ、伝統的な商家住宅や酒蔵などが町並みを形成。平成20年度には歴史的風致維持向上計画の重点区域に認定された。
33.499126
133.28967
80
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無人島長平の碑
1785年、手結沖で嵐に巻き込まれ漂着した無人島で12年余生き延び、帰還のための船を造って奇跡的な生還を果たした野村長平の像。
33.5393
133.73694
81
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野村茂久馬像
日露戦役には戦時輸送など、陸海に事業を拡げ、後に土佐の交通王とよばれた野村茂久馬の銅像が、丸の内緑地公園の東北角に佇む。安芸郡奈半利村に生まれた茂久馬は、高知県交通バスの前身である野村組自動車部、そして新高知重工業の前身である野村組工作所の創設者となり、四国のバス事業の統合、高知鉄道、土佐商船などの設立に力をつくした。
33.559856
133.53336
82
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高岳親王塔[清瀧寺]
清瀧寺境内西南に「いらず(不入)」と呼ばれる自然林の小丘があり、その頂上付近に高岳親王の「逆修の塔(人が生存中に建立する墓標)」といわれてきた五輪の塔がある。高さ1.37mの大型の花崗岩製で、東の入口から塔に至る参道には大小百個余りの五輪塔、一席五輪塔、石仏が並んでいる。
聖域のため、立ち入りは禁じられている。
33.512566
133.40952
83
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中島信行生誕地
土佐市塚地の郷土の長男として生まれた。誕生地には、「維新の志士 従三位勲二等瑞宝章 男爵 中島信行生誕之地」と刻まれた石碑が建つのみで周辺に縁を示すものはなにもない。昭和61年3月31日建立。信行は元治元年(1864年)11月に脱藩。慶応3年(1867年)1月に亀山社中に入り、海援隊にも加わる。実務の才能が評価され、龍馬の代理として使者を務めた。戊辰戦争前夜には陸援隊に入り高野山挙兵にも参加した。
33.47832
133.44278
84
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中浜万次郎の銅像
漁中に遭難。無人島生活を経てアメリカにわたり、英語や航海術等を学んだあと、鎖国中の日本に帰国。日本の国際化に尽力したジョン万次郎こと中浜万次郎の銅像が足摺岬に立つ。
32.725693
133.01965
85
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岩間沈下橋
観光ポスターやパンフレット、テレビCMなどで見かける機会の多い有名スポット。鏡のような川面に青い空と緑の山々が映し出された絶景を収めようと、写真撮影をする観光客の姿も多い。全長120m、普通車の通行可能。
33.12835
132.81746
86
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中岡慎太郎像(北川村)
平成11年(1999)、生誕160年を記念して、全国からの募金によって建設。室戸岬にある中岡慎太郎像とは趣が異なり、キリッとしたポーズが印象的。この石碑の中には建立記念誌、北川小・中学校の文集がタイムカプセルとして埋蔵され、生誕200年(2038)の年に取り出されることになっている。
33.45683
134.05676
87
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竜宮神社
参拝すると必ず大漁になると言い伝えがあり、航海の安全と豊漁を祈願する神社として知られる。臼碆は黒潮が日本で最初に接岸する場所で、荒波に削られてできたスケールの大きい断崖が広がる。県道27号線沿いにある鳥居をくぐり、木に囲まれた遊歩道を抜けた先、太平洋を見下ろす荒磯の上に建立されている。
32.732197
132.96881
88
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大川筋武家屋敷資料館
平成8年に高知市有形文化財に指定し復元、同11年4月に武家屋敷資料館として開館。
33.565414
133.53528
89
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興津八幡宮
興津部落の東方にある旧郷社。開基の年代は不明。中世には土佐一条氏の尊信が厚かった。県の無形民俗文化財の古式神事(毎年10月15日の秋祭りの御神幸に行われる宮舟(みやぶね)、花取踊、流鏑馬)がある。
33.16766
133.20909
90
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中岡慎太郎遺髪墓地
禅宗寺院。戦国時代に北川郷を支配していた北川玄蕃頭の菩提寺で、江戸時代は八ヶ寺の末寺をもっていた。だが、相次ぐ火災のため現在は山門しか残っていない。慎太郎は4歳になると、この寺の住職禅定和尚について読書を学んだと伝えられる。境内の墓地には、慎太郎の遺髪を納めた墓碑、両親・妻兼ら家族、慎太郎の義兄北川武平次、野根山二十三士に加わった新井竹次郎の養父新井林左衛門などの墓がある。
33.45689
134.05798
91
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吉村虎太郎の銅像
吉村虎太郎は津野山郷芳生野の庄屋として生まれ、24歳のときに土佐勤王党に加盟。勤王の志に燃え二度の脱藩を経て天誅組を組織し、総裁をつとめる。文久三年、大和で兵を挙げ五条代官討ち取った後、追討軍と転戦、奈良十津川から吉野山へと至り、27歳の若さで討ち死にをした。天誅組の行動は明治維新のさきがけとなった。
33.394226
133.02528
92
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梼原千百年物語り
坂本龍馬を支えた那須信吾ら梼原の六志士。
脱藩の道は、日本の未来を切り開いた希望の道。
藤原経高の入国から始まる千百年にわたる梼原の歴史も堪能。
33.391376
132.92691
93
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瑞山記念館
武市半平太(瑞山)の業績を伝える瑞山記念館。2011年3月にリニューアルし、資料も充実。近くには武市半平太旧邸と墓がある。
33.53777
133.60373
94
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元親飛翔之像
長宗我部元親の居城跡・岡豊山にある高知県立歴史民俗資料館のメインシンボルとして、平成27年5月に施設前に建立された像。戦国時代から安土桃山時代にかけての土佐国の戦国大名、元親。彼は天下を狙える四国随一の将傑であったが、土佐の統一を遂げた後、信長・秀吉という天下人に翻弄されながら戦国の世に滅亡した。
33.596073
133.6235
95
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平井収二郎・加尾誕生地
土佐勤王党に参加し、尊王攘夷運動に奔走した平井収二郎、その妹の加尾はこの地に誕生した。収二郎の切腹を聞いた龍馬は「平井の収二郎ハ誠にむごいむごい、いもふとおかおがなげき、いか斗か」と、姉乙女への手紙に書き記している。龍馬にとって痛恨事であったとともに、龍馬と平井兄妹との親密な関係を察することができる。
33.56133
133.51277
96
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土佐神社(しなね様)
土佐神社には土佐一ノ宮として古くより土佐の人々の心拠りどころとされる社です。長宗我部元親再建御造営の現社殿は入りとんぼ(入蜻蛉)という特殊な建築様式で神社建築としても注目をあびています。御祭神は味鋤高彦根神(一言主神)であり、農具の鋤にかかわる開拓神であることから開運招福のご利益があります。境内は約一万坪。300メートル程の参道の奥に大きな社がひっそりとたたずんでいます。NHK大河ドラマ「龍馬伝」ロケ他。
33.59247
133.57684
97
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半家沈下橋
四万十川ウルトラマラソンに代表される撮影スポットの一つ。右岸側に岩盤が見られる急流に架かり、瀬音や白い水しぶき楽しめる。全長約125m、普通車の通行可能。
33.213
132.80539
98
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板垣退助誕生地の碑
自由民権運動で活躍した板垣退助の生誕地に建つ碑。
33.558113
133.53705
99
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安岡家住宅
安岡家は文化4年(1807年)時の当主が郷士株を譲り受けた後、代々郷士職を勤めた家柄で、末裔には勤王の志士、覚之助・嘉助兄弟などがいた。
主屋をはじめとする建物群が、旧郷士屋敷の雰囲気を色濃くとどめている。
現在は保存修理工事中で、平成31年に工事完了予定です。
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100
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香美市立吉井勇記念館
ゴンドラの唄で知られる歌人・吉井勇(よしいいさむ)が不遇の時代に移り住み、癒された猪野々地区。そこに建つ記念館では、彼の生涯や猪野々での生活を映像や作品、遺品等で紹介している。敷地内には、勇が滞在した渓鬼荘(けいきそう)が移築されており、当時の生活の様子をうかがうことができる。
33.706043
133.8563
101
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高知県立坂本龍馬記念館
坂本龍馬の第一級の資料が揃う「龍馬の殿堂」。
2018年のリニューアルで本格的な博物館施設として新館が登場。
本館は体験型展示へと進化、
以前よりさらに魅力的な場所となりました。
2つの殿堂の館で龍馬をさらに深く楽しく知ってください。
33.49643
133.57184
102
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第31番札所 五台山 金色院 竹林寺
神亀元年(724年)、聖武天皇の命により、僧行基が唐の五台山になぞらえ開創した土佐屈指の名刹。本尊は「日本三文殊」のひとつに数えられ、四国88ヶ所霊場第31番札所として参詣者が絶えることがない。文殊堂や五重塔、国重要文化財指定の仏像17体、さらに国名勝指定庭園など見所も多い。
33.54662
133.57748
103
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武田勝頼土佐の会
戦国武将・武田信玄の四男、そして甲斐武田最後の当主「武田勝頼」が天目山の戦いに敗れた後、仁淀川町に落ち延びたという落人伝説を地元ガイドと一緒に巡ります。この地で「大崎玄蕃」と名を変え生涯を全うしたとされる逸話の紹介や、勝頼夫婦が葬られた鳴玉神社・武田信勝墓所・武田氏始祖を祀る大崎八幡宮等を訪ね、歴史ミステリーをひも解いていきます。
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104
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酒蔵 桂月館(大町桂月ミニ資料館)
酒蔵を改造した明治の文豪大町桂月のミニ資料室。冬は酒蔵見学もできる
33.743565
133.54294
105
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早瀬の一本橋
一本橋は沈下橋の原型といわれ、流れ橋とも言う。長さ9メートル、幅60センチ、厚さ30センチほどの木の板3枚を橋桁の上に渡しただけのシンプルな橋。数十年前までは四万十川支流に数多く見られた一本橋も、津野町のこの橋だけとなった。
33.41027
133.02495
106
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岩戸の砂留
砂留は、河川の保全と水流調節を目的に行う砂防堤の一種で、当地では古くから山間の谷川などに砂留工事が行われた。岩戸の砂留は、天保8年(1837)土佐藩の直営工事である群寄せという方法で行ったという記録があり、今なお現存する貴重な歴史的遺構である。
33.46776
133.38295
107
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谷重遠の墓(谷秦山の墓)
国指定の史跡 谷重遠(1663~1718)は秦山と号した。山崎闇斉の門人で、土佐南学の最高峰となる。谷干城は秦山の子孫。谷泰山は学問の神、とりわけ受験の神として信仰を集め、合格すると小旗をもってお礼参りをする人が多い。
33.613644
133.68051
108
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改良土佐節発祥の地の碑
天正時代(1573~1591年)現在の土佐市宇佐の亀蔵が紀州から漂着した漁民から鰹節の製法を習得したのが土佐の鰹節の発祥といわれ、それを記念した石碑。
33.4496
133.45546
109
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高知市立龍馬の生まれたまち記念館
坂本龍馬の生誕地の上町にあり、家族や仲間に囲まれた龍馬の生い立ちや町の歴史を紹介した記念館。館内にはCGを使った体験コーナーや坂本家の離れをイメージした部屋などもあり、子どもから大人まで楽しく学ぶことができる。館内にはボランティアガイドも常駐しており、記念館内を無料で案内してもらえる。また、龍馬ゆかりの地を巡る史跡巡りツアー「龍馬の生まれたまち歩き~土佐っ歩~」も好評開催中。
33.556454
133.52449
110
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美空ひばり遺影碑・歌碑
杉の大スギのすぐそばに故美空ひばりさんの遺影碑・歌碑があります。この遺影碑・歌碑は美空ひばりさんゆかりの地として、平成5年5月にファンやプロダクション、レコード会社など数多くの関係者の全面的なご協力を得て建立されました。遺影碑からはボタンスイッチで「川の流れのように」「龍馬残影」「悲しき口笛」の3曲が流れてきます。
33.755615
133.66292
111
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韮ヶ峠
龍馬脱藩の道についてはいくつかの説がある。沢村惣之丞が脱藩道筋を書いた文書「覚 関雄之助口供之事」によると、文久2年(1862年)3月26日、龍馬は四万川から韮ヶ峠を経て脱藩したことが記されている。今でも当時の面影が色濃く残っており、龍馬を敬愛する多くの人々がこの道を歩いている。 韮ヶ峠から和ヶ峠を越える宿場までの街道は、文化庁選定の「歴史の道百選」の一つとなっている。
33.474083
132.83809
112
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勤王六志士の墓
梼原町にゆかりの勤王志士である吉村虎太郎、那須信吾、那須俊平、前田繁馬、中平龍之介、掛橋和泉を分霊した墓地。幕末時代に尊皇攘夷論を唱え、国事に奔走して殉死した。近くには一人一人の経歴などの説明もある。
33.39067
132.92824
113
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津野親忠の墓
津野親忠は長宗我部元親の三男で、高岡郡の半山城主津野勝興の養子となった。天正14年(1582)、元親の長男信親が豊後戸次川の戦で戦死したので家督相続の問題がおこり、親忠を立てようとした吉良親実、比江山親興等は棟言して切腹させられた。親忠はこの地に幽閉され関ヶ原の戦いで敗れた長宗我部盛親の謀略により、29歳で自害させられた。のち、墓の上に社殿を建て津野神社として祀られ、墓標の五輪塔は50m北の墓地に移された。
33.582714
133.67786
114
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野市の三叉
江戸時代初め、野中兼山の養父直継が開き初め、兼山が完成させた。野市の三ツ又は町田堰(土佐山田町)からひいた物部川の水を、洪積台地で水の少なかった野市周辺の十善寺溝・町溝・東野溝に分水しているところで、近世野市開発の原点。遊歩道あり。
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近藤長次郎邸跡
水通町の饅頭屋に生まれた長次郎は勝海舟に入門し航海術を学んだ。龍馬の手紙に「二丁目赤づら馬之助、水通通横町の長次郎、高松太郎(中略)此者ら廿人計の同志引つれ、今長崎の方に出、稽古方仕り候」とあるように、土佐海援隊の前身になる亀山社中で活躍したが、英国への密航計画が露見し自害。
33.5564
133.52307
116
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山内神社
明治4年(1871年)創立。境内には山内容堂の銅像があり、土佐山内家の歴代藩主と初代一豊夫人を祀る神社。東側には山内容堂邸跡が鷹匠公園として整備されている。
33.555546
133.53183
117
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茶堂
滅亡した戦国時代の領主津野氏を追善供養するため建立されたもの。道内には弘法大師と津野孝山公を祀る。ここで旅人の茶のもてなしをしたところから茶堂という名前が残っている。
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第24番札所 室戸山 明星院 最御崎寺(東寺)
807年(大同2年)嵯峨天皇の勅願により弘法大師空海が創建した。
本尊は空海の自刻の虚空蔵菩薩(秘仏)。
寺宝に国指定重要文化財の「木造薬師如来坐像」、「木造月光菩薩立像」、「石造如意輪観音半跏像」等
33.24993
134.17555
119
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秋葉まつり
仁淀川の最上流域の集落でおよそ200人が古式の衣装を纏い神輿(みこし)に秋葉神社の神様を乗せてゆかりの地を巡る美しい行列「練(ね)り」が早春の山里を彩ります。
高知県保護無形民俗文化財に指定されていて、土佐三大祭りに数えられています。
秋葉神社は「火産霊命」(ほむすびのみこと)を祀っていて防火の信仰があります。元々は、平家の落武者である佐藤清岩が遠州秋葉山から勧請して岩屋集落の大巌の洞窟で祀ったのが始まりで、その後、法泉寺、関所番の市川家で祀られてきました。寛政6年(1794)に現在の秋葉神社に祀られるようになってから、毎年1回、それまでゆかりのあった岩屋神社、市川家、法泉寺、中越家にご神幸を行うようにな ...
33.53257
133.05637
120
.
中島観音堂
檜の一本造り、彫眼の彩色像の十一観音両像。鎮座されている本殿が開くのは、毎年7月下旬に開催される夏の大祭時のみ。推定樹齢1200年とも言われる金木犀と苔むした境内や、愛らしい地蔵が並ぶお堂は、おだやかな心へと導いてくれる安らぎ空間。
33.750256
133.55484
121
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維新の門(群像)
平成7年11月、和田城跡に龍馬、那須信吾・俊平父子ら梼原町にゆかりの勤王の志士を讃えた維新の門群像が完成。高台に位置しているので眺望も抜群。
33.391186
132.92415
122
.
藩校致道館跡
致道館(文武館)は文久2年(1862年)吉田東洋が開校した藩校。表門が武道館正門として当時の姿を残す(県重要文化財)。それまでの儒学中心の教育方針を改め文武両道を重んじ、幕末の西洋式軍備に対応した人材育成を担った。戊辰戦争時、土佐藩兵迅衝隊は致道館に集合、東門から出軍した。
33.56105
133.52888
123
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第26番札所 龍頭山 光明院 金剛頂寺(西寺)
四国八十八ヶ所霊場第26番札所の金剛頂寺は、大同二年(807年)に勅願寺として建立され、平安時代の代表する宗教家の空海が開祖となります。
当時は密教道場として栄え、室戸三山において通称「西寺」と呼ばれ、またかって室戸が捕鯨地区であったことより鯨の供養塔があることから「鯨寺」ともいわれています。境内の正倉院様式の霊宝殿には金銅旅壇具を始め古来よりの文化財を数多く収蔵されています。
33.30718
134.12285
124
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片岡健吉銅像
高知県議会議長や衆議院議長も務めた明治期の政治家。作者は、坂本龍馬像などを作成した本山白雲。台字は吉田茂書。
33.55964
133.53204
125
.
乗台寺の庭園
33.502758
133.2847
126
.
吉村虎太郎邸
2015年6月に、資料館を兼ねた施設として生家が復元された。敷地内には、田中光顕の揮毫がある虎太郎の誕生地碑も建つ。
33.41147
133.02301
127
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木造愛染明王坐像[青龍寺]
像高113.5cm。頭上に五鈷をあしらった獅子冠をつけ、焔髪(逆立った髪)、三目六臂の忿怒の相につくり、右足を上にして結跏趺坐する。ヒノキの寄木造、玉眼の彩色像で、肉身は朱、裳は蓮華唐草を主とする盛上彩色。肉身部は豊満な肉付けがなされ、六臂の整った力強い佳作で、土佐愛染明王像のなかで優秀作と評されている。(鎌倉時代の作)
33.425983
133.45079
128
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皇太子殿下御歌
皇太子殿下(現在の平成天皇)が昭和51年7月27、28日と自然公園大会で土佐清水市の足摺岬に立ち寄られたあと昭和52年の歌会始の時に読まれた歌を記念として歌碑として建立したもの。
0.0
0.0
129
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龍馬郵便局
郵便局入口前には大きな龍馬像が立ち、ポストの上には龍馬と一緒に「地球」と「桂浜の波」の像がのっている。局内には龍馬関連の資料が展示され、この郵便局から郵便物を発送すると、生誕の地と龍馬の図柄が入った消印を押してもらえる。
33.556187
133.52596
130
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手結港
土佐藩の家老の野中兼山によって完成した日本初の本格的「堀り込み港」で、建設から365年を経た石積みの港で、建設当時の岸壁が残る風情のある港です。
1650~1657年の着工・完成と伝わっており、南北約110m、東西約50m、水深は干潮時で約3mという江戸時代初期では最大級の港でした。
海岸の岩礁地帯の入江を掘削して造られています。
近代化の波を経て、漁船が係留され今も使われ続けている現役の港です。
※「手結内港まちあるき」ガイド付きツアー
http://www.kounan-navi.com/tabi/machiaruki_tei.html
33.52817
133.7572
131
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木造阿弥陀如来坐像[高善寺]
像高67.0cm。右手をまげ掌を前にして立て、左手は掌を上にして膝におき、ともに第1、2指を捻ずる来迎印をとる。肉髻は低く、旋毛を刻んだ螺髪を植付け、白毫、肉髻珠を入れ、やや面長で端正な面持ちである。納衣は右肩をぬぎ、右足を上にして結跏趺坐する。ヒノキの寄木造、玉眼の像で、鎌倉時代後期の佳作と評されている。
33.49839
133.41795
132
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安芸市立歴史民俗資料館
戦国の武将、安芸国虎の居城であった安芸城跡にあり、江戸時代、土佐藩家老であった五藤家に伝わる武具・甲冑や美術工芸品などを中心に、弘田龍太郎や岩崎弥太郎など安芸市出身の人物なども紹介している。
33.519176
133.91324
133
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火立場
土佐藩は近世の異国船監視のために海岸線上に火立場を設置し、昼は煙、夜は火炎の合図を順送りする仕組みを作った。 ここはその火立場の跡で、発煙材料を燃やしたかまど状の石積みがほぼ原型のまま残っている。 こうした火立場は当時県下に43個所作られていたが、原型を留めているのは2個所しかなく、鎖国時代の歴史を物語る貴重な史跡である。
33.425976
133.44466
134
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武市半平太道場跡
武市半平太は嘉永2年(1849年)、21歳の時からこの場所に居住。安政元年(1854年)に道場を開き、多くの門人を養成した。龍馬もここをよく出入りしたという。この道場がのちの土佐勤王党の母体となった。
33.560284
133.54788
135
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土佐藩砲台跡
国指定の史跡で、須崎市街の南西寄り、海に迫るようにたつ町並みの一角にある。現在、遺構一帯が西浜公演とされているが、防壁の石垣が昔のままに残り、幕末の非常時に沸騰した土佐藩の士気をしのぶことができる。
33.387608
133.28369
136
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松尾八幡宮の絵馬
幕末から明治期の絵師である河田小龍が「静御前の舞い姿」を描いた絵馬である。明治13年(1880)高岡村芝惣中が奉納したもので、縦139cm、横198cmの板に、静御前の艶やかで哀愁の漂う舞い姿が描かれている。
小龍は当地へ来て揮毫に応じたといわれており、高岡での逗留を裏付けるものとして貴重である。
33.51042
133.42519
137
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第34番札所 本尾山 朱雀院 種間寺
577年敏達天皇の時代、百済から招かれた仏師たちがその帰途に土佐沖で暴風雨に遭ってこの地に流れ着き、会場の安全を祈願して薬師如来を刻み祀ったことに始まると言われる。
その後、弘法大師が訪れてお堂を整え、唐から持ち帰った五穀(米、麦、粟、きび、豆)の種を蒔いたことから種間寺という名がついたと伝えられている。
33.491756
133.4876
138
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山内一豊の像
山内家初代の土佐国主一豊の銅像
33.561012
133.53282
139
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大川上美良布神社
美良布の川上様として知られる名社。祭神は大田田根子命。延喜式内社。社殿は県指定文化財になっている。社殿の規模は大きく木割も堂々として落ち着きを感じさせ、屋根は幕末の造りにしては美しく優美である。 現在の社殿は慶応元年(1865年)に起工し、明治二年(1869年)に落成したもの。
秋祭り(毎年11月3日)は特に盛大で、一に一宮の志那祢さま、二に韮生の川上さまと称され、古式にのっとった神輿のおなばれ行列が町内を練り歩き、大勢の人出で賑わう。社宝には県指定文化財である袈裟襷文(けさだすきもん)銅鐸2基がある。
33.649857
133.78392
140
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義堂・絶海の像
室町期、五山文学の双璧とうたわれた高僧。共に津野町出身で、夢窓疎石に師事している。義堂は関東管領足利基氏や将軍足利義満の信頼も篤く、政治顧問・文学者として大いに活躍している。絶海も鎌倉や京都の名刹で修行に励み、1368年より8年間、民に留学している。その際には太祖皇帝と直接詩のやりとりもしている。帰国後も、義満の信頼を集めて相国寺の従持や大内義弘反乱の説得などに活躍している。
33.438644
133.08612
141
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本川新郷土館
四国山地の深山と峡谷の織りなす典型的な山岳地域で焼畑農耕など、山に暮らした先人たちの暮らしぶりや民俗資料を展示。
四国八十八カ所の成立を考える上で貴重な資料である鰐口[県指定有形文化財(工芸品)]などを展示。
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142
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坂本家墓所
山手町の丹中山にある坂本家の墓所。龍馬の父・八平直足、母・幸、2番目の姉の栄、3番目の姉の乙女ら21人が眠っている。母である幸は、弘化2年(1846年)龍馬が12歳の時、父である八平直足は安政2年(1855年)龍馬が21歳の時に亡くなっているため、龍馬も一族とともにこの墓地への坂道を上って来たと思われる。
33.560143
133.51456
143
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片岡沈下橋
現存する仁淀川の沈下橋では、河口に二番目に近い。県道301号線として、現在も生活道として利用されている。付近では火振り漁も行われている。
33.57099
133.2851
144
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大川上美良布神社の銅鐸
国の重要美術品。大川上美良布神社の社宝。高さ75.7cmと67cmの、大小2個の袈裟襷文[けさたすきもん]銅鐸。
33.649963
133.78392
145
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長尾鶏センター(土佐のオナガドリ)
特別天然記念物のオナガドリを観覧、撮影することができる。
33.56731
133.63484
146
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高知県立高知城歴史博物館
土佐藩主・山内家伝来の貴重な資料を中心に、土佐藩・高知県ゆかりの歴史資料や美術工芸品の数々を展示する本格的博物館。また、体験型展示や映像、メディア機器などを用い、大人から子どもまで楽しみながら学ぶことができる。
33.560467
133.53415
147
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佐田沈下橋
沈下橋は支流を含めると47本(※)あり、その最下流にあるのが佐田沈下橋。観光シーズンともなると、その周辺では川遊びをしたり、写真を撮ったり、多くの観光客が訪れる。
(※)2016年6月15日から48本。
33.014927
132.88364
148
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吉田茂像
鼻眼鏡に葉巻、白足袋といった風采、時に物議を醸す発言など、強烈な個性を発揮した政治家・吉田茂。日本国の代表として、新憲法制定をはじめ、戦後日本の政治・経済・外交の基礎を作り上げた人物である。彼の功績を讃え緑の広場につくられた銅像は、現在、観光客も訪れやすいようにと旅客ターミナルビル近くに移設されている。
33.547276
133.67485
149
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野中兼山像
藩政時代30年間土佐藩の奉行として活躍。あまりにも苛烈な政治姿勢により反感を買い晩年には失脚したが、南学を振興し、新田開発に努めた功績は大きい。
33.758533
133.59479
150
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第27番札所 竹林山 地蔵院 神峯寺
太平洋を一望できる標高620mの神峯山の中腹にあり、景観の美しい寺として知られています。
急坂の参道が1kmほど続き、歩き遍路にとって屈指の難所とされてきました(現在は車道整備されています)。
33.46751
133.97511
151
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名越屋沈下橋
仁淀ブルーの愛称で知られる仁淀川で最も下流にある沈下橋。日高村といの町を結ぶ生活道。交通量が比較的多く、待避所が4ヶ所設けられている。
橋の中央からは川面に立ったかのような絶景を楽しむことができる。
33.57245
133.35606
152
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山内容堂誕生地
父は11代藩主の弟で、容堂は側室の子として生まれた。本家の藩主が急死したため15代藩主の座に就き、その政治手腕により薩摩の島津斉彬らと幕末の四賢候と評された。慶応3年(1867年)に将軍慶喜に大政奉還を建白。酒と詩を愛し、自らを「鯨海酔候」と称した。
33.560963
133.5346
153
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宝鏡寺跡
県の史跡。中世、付近一帯を統治した香宗我部氏の菩提寺跡。寺跡の北300mの八幡宮あたりが居城の香宗城跡。
33.555206
133.7198
154
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万次郎少年像
鉄筋コンクリート製の大波を背後にした中濱萬次郎少年と仲間たちの群像。米国に向けて船出した船が足摺岬の沖合で突然の強風に襲われ、5日間成す術もなく漂流した後、漂着した南海の孤島である鳥島で米国の捕鯨船に救助を求めている様子は、銅像の常識を超えた激しい構図になっている。143日間の無人島生活に5人は耐え抜いた彼らは、日米親善の橋渡しと文化の発展に大きく貢献した。
32.78315
132.93242
155
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南国土佐を後にしての歌碑
歌手・ペギー葉山さんが歌い1959年に大ヒットした『南国土佐を後にして』は、太平洋戦争の時代に郷土出身の鯨部隊(旧日本陸軍第40師団歩兵第236連隊)が遠く離れた戦地でふるさとを偲んで歌った歌が原曲。はりまや橋公園東側に,平成24年建てられた歌碑には歌詞が刻まれ、午前8時半から午後8時半まで1時間おきに歌声が流れ、そばに建てられた親子鯨が曲に合わせて潮を吹く仕掛けとなっている。
33.559875
133.54317
156
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香美市立美術館
33.61068
133.68762
157
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本山町立 大原富枝文学館
大原富枝の今日までの歩みと、作品を展示室で紹介。
生原稿など貴重な資料展示に加えて、代表作「婉という女」にスポットを当てた大原富枝の世界を展開。
大原富枝作品などの読書、ビデオ資料の観賞ができる。
大原富枝の心を表現するための茶室を設置。茶道愛好家の方々にも開放。
33.758488
133.58937
158
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高知県立文学館
高知県立文学館は、高知城の東のふもとにあり、奥深い高知の文学の魅力を心ゆくまで堪能できる施設です。
常設展示では、古典から現代文まで、多彩な高知の文学者・高知ゆかりの作家約40名を紹介しており、没後周年にあたる文学者や話題の文学者をローテーション方式で紹介する【変わる常設展示】が特徴で、来館のたびに新しい文学体験ができる仕組みになっています。また、「寺田寅彦記念室」「宮尾文学の世界」の特別室もあります。
33.56187
133.5334
159
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土居廓中武家屋敷
安芸城跡の周辺に、藩政時代のたたづまいを今に残す武家屋敷の街並み「土居廓中(どいかちゅう)」。土用竹やうばめ樫の生垣に囲まれた武家屋敷がつづき、今もひっそりと当時の風情を残している。
33.51853
133.91139
160
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才谷屋跡
才谷屋は郷士坂本家の本家で、三代目の弟・八兵衛守之が、寛文6年(1666年)に長岡郡才谷村から出て来て質屋を始め、後に酒屋や諸品売買業へと商いを拡大していった。元禄から享保にかけて驚異的に発展し、城下屈指の豪商にまで成長する。幕末は武士相手の質屋である「仕送屋」を営んでいた。才谷屋はもともと大浜姓を名乗っていたが、明和4年(1767年)初代の太郎五郎の墓を建てた時には坂本姓を刻んでいる。
33.55715
133.52277
161
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弁天座
香南市赤岡町にある芝居小屋。ここでは、絵師・金蔵の芝居絵屏風の世界が「絵金歌舞伎」として演じられている。明治期に住民が建て1970年に閉館していたものを、文化活動拠点として2007年に復活。花道もあり、枡席や桟敷席などを構えた本格的な造りとなっている。
33.541847
133.72478
162
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旧立川番所書院
書院は前身である立川下名口番所(たじかわしもみょうくちばんしょ、立川関)までさかのぼり、『日本後紀』によれば延暦16年(797)に街道が整備され、丹治川すなわち立川(たじかわ)に駅が置かれたとある。これより都と土佐国府をむすぶ官道の要衝として立川駅は利用されていた。官道を再整備して土佐藩主参勤交代の通路としたのは六代藩主 豊隆公の享保3年(1718)からで、立川番所は土佐路最後の藩主の宿所となった。立川番所は参勤交代時の本陣として重要視され、岩佐口番所(北川村)、池川口番所(仁淀川町)とならんで土佐の三大番所の一つとなっていった。
33.849762
133.64838
163
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高知城(天守・懐徳館)
高知城は、天守、本丸御殿(「懐徳館」)、追手門といった15棟の建造物が国の重要文化財に指定されています。
天守は、高さ18.5mの3層6階、屋根入母屋造り本瓦葺きの望楼型です。
土佐藩の初代藩主である山内一豊(やまうちかつとよ)によって1603年(慶長8年)に築城されましたが、城下町の大火事で一度消失しました。
その後、1749年(寛延2年)に再建されて、戦火をくぐり、270年の時を超えて、当時の息吹を今に伝えています。
33.560715
133.53156
164
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銅剣
国指定考古資料 昭和34年の火災時に鋒部は焼失している。残存部の全長は、23cm。製作年代(推定)弥生前期末~中期初頭。右側葉部の表裏に、シカ・サギ・カエル・カマキリの突画がある。
0.0
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165
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八田堰
江戸時代初期の土佐藩の執政、野中兼山が灌漑のために、慶安元年(1648)から6年の歳月を費やして仁淀川に造った堰(の跡)。
現在の堰は昭和に入って改修されたものです。
0.0
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166
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八王子宮
室町時代、近江国から山田氏の家臣、野口総左衛門が勧請したと伝えられ、野中兼山が中井川を掘る際に、現在の北本町に移築した。
閑静な環境の中に静穏な佇まいを見せる境内、そして隣の八王子公園は、鏡野公園と並ぶ桜の名所として古くから知られ、夏期と秋期の大祭には、県内外からの多くの人で賑わう。
33.611286
133.68806
167
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いの大国さま 椙本神社
ご祭神は大国主命、素盞鳴命、奇稲田姫の三柱。ご神徳は、福徳開運、商業繁栄など多岐にわたる。
春と秋に大祭があり、土佐の三大祭の一つとして知られる。
古くから伝えられている福俵を手に、福をいただきその年の幸せを祈願する。秋の大祭では「おなばれ」や獅子舞などが繰り広げられる。鎌倉時代に作られた国指定重要文化財「八角形漆塗御輿」のレプリカも披露される。
33.550594
133.42105
168
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吉田東洋暗殺地
文久2年(1862年)4月8日、帯屋町の自宅付近で、東洋の公武合体論に反対する土佐勤王党員の那須信吾、大石団蔵、安岡嘉助によって暗殺された。城中で藩主に『日本外史』の最終講義した帰り道だったという。
33.560814
133.53773
169
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野中神社(お婉堂)
兼山の没後、四女の婉は医者をしながら、谷泰山から儒学、神道を学び、誇りであった父兼山を祀るため、1708年、野中家の遺品を売却し、兼山の旧臣であった古槇氏とともに祖先の祠室を建立しました。この野中神社はお婉堂と呼ばれ、当時の面影をそのままに、ひっそりとした佇まいを見せています。
33.611225
133.67073
170
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浜口雄幸生家記念館
高知県出身で初めて内閣総理大臣となった浜口雄幸の記念館です。現在の高知市の五台山にある山村に生れた雄幸の生家を復元したもので、勉強部屋などがあり政権活動に関する資料などが展示されています。
33.538353
133.58833
171
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第28番札所 法界山 高照院 大日寺
聖武天皇の勅願により行基が本尊の大日如来を刻み開創、その後弘法大師が本尊の縁日28日にちなみ、第28番札所に定めたといわれている。江戸時代には土佐藩の祈願所として栄えたが、明治の廃仏毀釈により廃寺となり、明治17年(1884)に再興した。
33.57789
133.70543
172
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魚梁瀬森林鉄道
林業が華やかだったころに大切な交通機関として役だった森林鉄道が復元され、魚梁瀬の丸山公園の回りを周回している。
33.61515
134.1096
173
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第37番札所 藤井山 五智院 岩本寺
聖武天皇の勅願にて行基が建立したと伝えられる福圓満寺が前身。仁井田明神の別当職(別当寺)であった。後に弘法大師がこの寺社を訪れて仁井田明神のご神体の本地仏を安置し神仏習合の寺社として栄えた。中世寺社共に一時衰退してしまい、岩本寺に寺の法灯並びに別当職は継承される。明治の政策で寺社が分離され、五尊の本地仏と札所が岩本寺に統一された。
33.207966
133.13463
174
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第39番札所 赤亀山 寺山院 延光寺
神亀元年(724年)聖武天皇の勅願により行基菩薩が薬師如来を刻んで本尊とし、一寺を開創したのがはじまり。
後に弘法大師が巡錫の際、日光・月光菩薩を安置し、再興した。
延喜11年(911)に作られたという梵鐘は、重要文化財に指定されている寺宝。赤い亀が背中に乗せて、竜宮城から持ち寄ったものであるといわれている。
32.96131
132.77402
175
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田中良助旧邸(資料館)
田中邸は坂本家の領地の管理を引き受けており、龍馬がよく足を運んだ場所の一つである。良助と兎狩りや碁や将棋を楽しみ、邸宅の横にあった池では、子どもたちとよく水遊びをしたとも伝えられる。
33.597862
133.49544
176
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木造薬師如来立像[清瀧寺]
四国八十八箇所霊場の第三十五番札所である清瀧寺の本尊。像高154.0cm。左手に薬壺を持ち右手を前に立てて直立する。肉髻を大きく高くつくり、大粒の螺髪を切りつけ、丸顔に彫りの深い目鼻立ちを作る。ヒノキの一木造り、彫眼の彩色像。平安時代後期の作で、当地方における最古、最優秀作の一つである。
33.512543
133.40953
177
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四万十町立美術館
平成12年に図書館の中に併設され開館。四万十町出身・町のゆかりのある芸術家の作品を中心に展覧会を行っている。また、毎年、住民参加型の展覧会「アンデパンダン展」や小中学生を対象とした「読書感想画」などの展覧会を行い、地域に根ざした美術館をテーマとして、四万十町の文化の発展に寄与することを目標としている。所蔵作品:中澤竹太郎・今西中通 他
33.20872
133.13339
178
.
中岡慎太郎像
海援隊長の坂本龍馬とともに活躍した明治維新勤皇の志士。慶応3年11月15日(1867年)京都河原町の近江屋で刺客に襲われ、龍馬とともに落命。享年30歳。銅像は昭和10年、安芸郡青年団が主体となって建てられた。
33.245735
134.17624
179
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第32番札所 八葉山 求聞持院 禅師峰寺
真言宗豊山派に属する。大同年間(806年頃)僧空海が開いたもので、本尊は空海自作の十一面観音像。重要文化財の金剛力士像(木造)2体がある。
関連情報>>第32番札所 八葉山 求聞持院 禅師峰寺
33.52669
133.61148
180
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岡御殿
岡御殿は天保十五年(1844年)に建築され、藩主が参勤交代や東部巡視の時の本陣として使用していた。
敷地内には御殿・茶の間・土蔵・御成門などの建物が保存復元され、藩政末期の岡御殿の雰囲気を伝えている。
また、岡御殿の西側にあるのが西の岡邸で、岡家の分家として製材や回船業をする豪商の家で、脇本陣として随勤の重臣などの宿泊に当てられていた。
33.426723
134.00923
181
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田野学館跡
安政元年(1854年)安芸郡奉行所の敷地内に建てられた藩校。設立の目的は安芸郡の子弟たちの教育および海岸警備の兵隊育成である。中岡慎太郎はここで武市半平太や間崎滄浪と出会い影響を受けた。岩崎弥太郎が、父と親族とのもめ事の件で投獄された場所はここである。また阿波(徳島県)から引き渡された二十三士もここに投獄された。現在は高知県立中芸高等学校が建っている。
33.433853
134.01112
182
.
庚申堂
伝説では「野中兼山がこの地を開墾したとき、負傷者や病人が続出したので修験僧に命じて摂津国四天王寺から仏像を勧請させて祀った」といわれている。
庚申信仰とは、道教、神道、仏教が習合したもので、室町時代以降広く普及した。
境内にミカドアゲハの食草として知られるオガタマの木があり、市の天然記念物に指定されている。
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183
.
宿毛市立宿毛歴史館
宿毛の町の歴史や文化、宿毛市ゆかりの人物を模型や映像、パネル、遺品をはじめとした貴重な展示品によって、わかりやすく紹介したふるさとの歴史館。
32.938774
132.73038
184
.
久喜沈下橋
高知県に現存する沈下橋の中で最も古く、昭和10年に架けられた。2004年3月に国の登録有形文化財に指定。仁淀川流域でも珍しいアーチ形の沈下橋である。
33.568333
133.15987
185
.
武市半平太(瑞山)像
土佐勤王党を組織した幕末の志士・武市瑞山の銅像。
横浪黒潮ラインの中程にあり、高さ6m。像の後ろの石碑には半平太と共に活躍した志士たちの名前が刻まれている。
33.407333
133.38802
186
.
龍河洞珍鳥センター
特別天然記念物の長尾鶏や、声の美しい東天紅、ウズラチャボ、大軍鶏、小地鶏等の天然記念物に指定されている鶏等が見られる。
33.603466
133.74496
187
.
岡豊別宮八幡宮
岡豊城跡のすぐ北の山頂にある。
長宗我部元親の信仰が厚く、出陣の際には必ずここで戦勝を祈願したと伝えられる。
かつては長宗我部氏ゆかりの品を多く所蔵していたが、大正年間の大火で大半が焼失した。現在は元親が画工真重に命じて作らせたという三十六歌仙の画額14枚と、出陣の際使用したと伝えられる熊蜂の盃があるのみである。(ともに県立歴史民俗資料館保管)
33.601257
133.62616
188
.
土佐清水市立貝類展示館海のギャラリー
2003年に日本建築学会およびDOCOMOMOjapan
より後世に残したい文化遺産として建築百選に認定された名建築。1級建築家「林雅子」による設計。
また、貝は洋画家「黒原和男」が収集した学術的価値の高い貝を含む3000種類5万点におよぶ世界の珍しい貝を展示している。
32.788567
132.86568
189
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安田まちなみ交流館・和
安田町商店街にある旧柏原邸、旧市川医院は平成20年に所有者から町に寄贈され、平成22年に修復が完了し安田まちなみ交流館「和」として生まれ変わった。
旧柏原邸は大正から昭和初期の土佐東部の建築様式で、魚梁瀬の天然木材をふんだんに使われている。
土間でつながった旧市川医院は大正生まれのレトロな洋館風の建物。
高松順蔵など郷土の輩出した幕末明治維新の先人たちを紹介、展示している。
33.43731
133.98012
190
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和霊神社
文久2年(1862年)3月23日、脱藩の決意を固めた龍馬は、酒をもって和霊神社に詣で、武運長久を祈願したと伝承される。昭和60年3月24日に龍馬生誕150年記念行事としてここで脱藩祭が行なわれて以来、毎年3月24日、恒例の行事として脱藩祭が行なわれている。
33.536415
133.51085
191
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潮江天満宮
菅原道真 太宰府左遷とともに土佐に流された、道真の長子高視が道真の遺品の観音像などを御神体として創建。
楼門は市の文化財。
33.55345
133.53488
192
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銅像鏡像・懸仏
神仏習合の信仰の世界において、御正体(本地仏)を表すものとして造られ、社寺に奉納礼拝したもので、鏡面に仏像などを線刻したものを鏡像といい、金属円板に立体的な像をあしらったものを懸仏という。
清瀧寺にはこの鏡像1面と懸仏3面が伝えられている。これらは山麓の松尾八幡宮に伝えられていたもので、神仏分離後に清瀧寺が受け継いだものである。
33.51246
133.40948
193
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坂本龍馬生誕の地の碑
日本の夜明け、幕末に海援隊長をつとめ、薩長同盟、大政奉還の立役者となった、坂本龍馬の生誕地に建つ碑。
33.557087
133.52586
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第29番札所 摩尼山 宝蔵院 国分寺
天平13年(西暦741年)聖武天皇の勅願により僧行基が開創。天下泰平等を願う祈願所として金光明四天王護国之寺と呼ばれてきた。後に弘法大師(空海)が中興し、四国八十八ヶ所霊場となった。
土佐日記の作者、紀貫之が国司として滞在した地として知られ、戦国時代の長宗我部氏、江戸時代に入り山内藩主より寺領が与えられ伽藍が維持されて来た。
境内全域が国の史跡。金堂・梵鐘・木造薬師如来像2体が国の重要文化財に指定。
33.59861
133.64046
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中岡慎太郎生家
龍馬とともに京都近江屋で暗殺された慎太郎は、大庄屋の子として生まれ、のち間崎滄浪の塾で学び、土佐勤王党に参加。文久3年(1863年)に脱藩して討幕運動に奔走。龍馬とともに薩長連合を実現させたり、陸援隊を組織したりするなどの活躍をした。昭和42年に発見された中岡家の見取り図をもとにして生家が復元されている。近くの松林寺境内内に遺髪が埋葬されているほか、すぐそばには北川村立中岡慎太郎館もある。
33.45719
134.05629
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牧野富太郎像
高知県に生まれ、日本の植物分類学を独力で切り拓いた植物学者・牧野富太郎。その業績を顕彰するため、博士逝去の翌年、高知市の五台山に開園した植物園内に銅像が建っている。幼少より植物に親しみ、小学校中退後の人生を独学による植物研究に捧げた富太郎は、95年の生涯の晩年まで現役であり続けた。彼が採集した標本は60万点、命名した植物は2500余である。
33.54658
133.57788
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岩崎弥太郎の銅像
昭和60年、岩崎弥太郎生誕150年を記念し、有志にて建立。その後、生家近くに移設。
像の高さは3.3メートル、台座の高さ1.1メートル。
和服姿で海に向かって立っている弥太郎をイメージ。
時代の風を受けとめる大きさ、偉人のもつ独特の雰囲気が出ていて、見応えあり。
※「岩崎彌太郎生家」からすぐ近くです。
33.526184
133.90076
198
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藤林寺
藤林寺は応仁の乱を逃れて中村(現四万十市)に下向した元関白一条教房公の子、房家公の菩提寺である。毎年8月16日には、市無形文化財に指定されている「ヤーサイ」(夜祭、野菜祭)が行われる。最初に「竹回し」と言われる行事が行われ(大竹数十本が土俵の回りを回る様子は豪快である。)どの後奉納盆踊、チビッ子相撲等があり、近隣から多くの人出があり夜遅く迄にぎわう。
32.94783
132.79408
199
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御厨人窟と神明窟
約1200年前の平安時代、青年時代の大師が悟りを開いたといわれる洞窟で、中には五所神社と呼ばれる社がある。空海と名前をつけたのもここから見える空と海に感銘を受けたからと言われている。「御厨人窟」の波音は環境省の「日本の音風景100選」に選ばれている。
33.251396
134.18047
200
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紀夏井邸跡
県の史跡。文徳・清和両天皇に仕えていたが、866年(貞観8年)応天門の変に連座して土佐に流された紀夏井の住居跡。今も残る父養寺、母代寺という地名は、親孝行だった夏井が父母を弔うために建てた寺があったことが由来。
33.58467
133.70459
201
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旧竹内家
国指定重要文化財。49年に移築修理。土佐地方における山村農家の民家で18世紀後期の創造。
33.193195
132.9707
202
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下津井のめがね橋
高さ20m。昔は木材を運ぶトロッコ用の軌道橋だった。
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203
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佐川町立佐川地質館
化石の宝庫「佐川盆地」をはじめ、高知県下の地形・地質を紹介。四国4億年の歴史や珍しい化石のコレクションを展示。動く恐竜「ティラノサウルス」(3/5大)・動く大陸装置や「生きている化石」のオウム貝・カブトガニの飼育水槽などで、地球と生命の歴史を色々な角度から楽しく学ぶことができる。
33.499695
133.30222
204
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豊楽寺薬師堂
豊楽寺(ぶらくじ)は正式には大田山大願院豊楽寺といい、神亀元年(724)名僧行基により創建されたものと伝えられている。また別名 柴折薬師とも称され、愛知県の鳳来寺の峰薬師、福島県の常福寺の嶽薬師と共に日本三大薬師の一つに数えられる。
本堂である薬師堂は、四国最古の建造物で桁行、梁間ともに五間の単層入母屋(いりもや)造り、柿葺(こけらぶき、杉板の割板を敷きつめた技法)で勾欄(こうらん、手すり)付きの廻縁(まわりぶち、縁側)を有する。壁は板壁で前面中央の三間は板唐戸の観音開きになり、両脇の一間には連子窓がついている。屋根の勾配はゆるやかで、軒先の反りは美しく優雅である。特に内陣の須彌壇(しゅみだん、本...
33.792007
133.72713
205
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井野川たてなが集落歩き
大川村には昔ながらの暮らしや、その名残が随所に残っています。
まだ道路がなかったころ、人々が生活に使った山道。
お参りのかわりに山の中のぽっかりあいた広場にたくさん並べられた手作りのお地蔵さまや観音様。
段々畑に薪で沸かすお風呂。
大川村で昔の日本にタイムスリップしてみませんか?
33.785793
133.47421
206
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高知県立埋蔵文化財センター
豊かな自然に恵まれた高知県には、先人たちの歴史と文化遺産が数多く残されている。これらを保護し後世に伝えていく為に発掘調査を行い、その成果を遺物展示や各種講座によって広く公開している。また、古代ものづくり教室では先人たちのものづくりの知恵と技術を体験することができる。
33.57169
133.63559
207
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第30番札所 百々山 東明院 善楽寺
高知市内に入り最初の札所となる善楽寺は、階段も少なく高知ICから近いということもあり、お遍路さんのみならず多くの方々がお参りみえます。善楽寺は1637年土佐一宮神社の別当寺として建立されましたが明治の廃仏毀釈により廃寺。昭和4年に念願の復興を果たしました。新風薫る境内には本尊阿弥陀如来をはじめ、首から上にご利益がある梅見地蔵や子安地蔵が、昔と変らずお参りの方々を見護っておられます。
33.59194
133.57745
208
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寺田寅彦記念館
物理学者で随筆家としても知られる寺田寅彦が幼年時代を過ごした邸宅を保存公開。
付近は、第二次大戦の空襲で焼かれ旧寺田邸もはなれの勉強部屋を除いて焼失した。近年「復元する会」により茶室と主屋が再建され、昭和59年、記念館として公開。
33.563427
133.52849
209
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長宗我部元親像
永禄3年、22歳の時に遅い初陣を迎えた長宗我部元親が、長浜の戦いに出陣する前夜、陣取った若宮八幡宮。この地に、元親公没後400年に当たる平成11年5月に、地元有志の発案により建立された銅像。槍の名手として武名を広げた勇猛果敢な元親の姿を再現している。
33.493065
133.54628
210
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砂浜美術館
4kmの海岸を美術館に見立てて作品を展示。
「Tシャツアート展」や「潮風のキルト展」などを企画・開催している。
33.035046
133.02702
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旧山内家下屋敷長屋展示館
この長屋の立つ敷地は、幕末に家臣7人の屋敷地を召し上げて藩主であった山内容堂の下屋敷がもうけられたところです。
昭和53年、長屋(建物)は高知市に譲渡され、同54年、国の重要文化財に指定されました。同55年2月保存修理に着手、56年9月に完成しました。
この種の本格的な武家長屋は全国的に少なく、貴重だといえます。
33.556023
133.53314
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片岡直輝・直温生家
津野町の偉人、片岡兄弟。兄直輝と弟直温は幕末の津野町生まれ、貧しい環境にも負けず苦学して、大阪ガスや日本生命などの大企業を築き上げます。その背景には勤王の志士であった父の誇りと献身的に支えてくれた母の愛情がありました。津野町には二人が母信子のために再建した邸宅が片岡兄弟生家として残されています。
33.44645
133.19897
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武市瑞山(半平太)殉節地・南会所跡
山内容堂は吉田東洋の暗殺を勤王党の仕業とにらみ、文久三年(1863年)9月、土佐勤王党首領武市半平太らを南会所と山田町の獄舎に入牢させた。長い取り調べの中で田内衛吉の服毒自殺、島村衛吉の拷問死などがあり、半平太は慶応元年(1865年)5月11日に南会所で切腹した。
33.559853
133.5355
214
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龍河洞博物館
龍河洞の実物の石筍,世界の珍しい洞窟の写真,龍河洞の生い立ちのパノラマ,洞内から出土した土器,石器等が展示されている。
弥生時代の遺跡・出土品,洞内植物標本,地質関係資料など1500点
33.603825
133.74507
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中土佐町立美術館
収蔵作家:山本芳翠「洋美人」、林 武「花図」、中沢弘光「室内」、小磯良平「画室の女」、棟方志功「御黒遍牛」、その他竹久夢二、黒田清輝、安井曽太郎、山脇信徳等
33.32693
133.22762
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久礼大正町市場
地元でとれた新鮮な魚をはじめ干物や野菜、果物を購入できます。
また、お店で購入した魚介を店内で食べられる定食や、ご飯の上に新鮮な魚介を載せた久礼丼がお勧め。
起源は明治の中頃。大正時代の大火で焼失後、大正天皇から復興費が届けられたのを機に、通りを大正町と改名、以来大正市場と呼ばれている。
33.329025
133.23062
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三番叟(八坂神社)
10月28日にある八坂神社の秋の例祭後、小学生の男児1名が狩衣烏帽子を着用し、鈴を打ち鳴らしながら謡詞、合唱に合わせて三番叟を踊る。
三番叟は能楽(猿楽)の一種で室町時代に始まり、地芝居の幕開けに悪事を払い、家内安全を祈願して舞ったものである。八坂神社の三番叟は江戸時代から続くと思われ、素朴な農村地帯の風習として今まで踊り、歌い継がれている。
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口屋内沈下橋
支流の中で最も透明度が高いといわれている黒尊川との合流地点にあり、口屋内と呼ばれる集落内に架かる沈下橋。丸みを帯びた独特な橋桁の形がユニーク。全長約241m、車両の通行不可。
33.097088
132.80167
219
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越知町立横倉山自然の森博物館
4億年前、赤道付近にあった横倉山。その当時栄えたサンゴ礁の化石やトリケラトプスを始めとする世界の代表的な化石を通して、生物の進化や地球の歴史について実感できる”地球学博物館”。日本唯一の”アカガシの原生林”が残り、植物の宝庫でもある横倉山の牧野富太郎博士ゆかりの植物なども紹介。源平の戦いに敗れてここまで落ち延びてきたという「安徳天皇潜幸伝説」についても知ることができる。「体験コーナー」もあり。
33.535393
133.24193
220
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ジョン万次郎資料館
中浜の貧しい漁師の次男として生まれた万次郎が、漂流の後アメリカで暮らし学んで来た事を生かして日本の近代化に尽力した事などを資料やジオラマで表現している。
32.781513
132.93259
221
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室戸岬灯台
室戸岬のシンボルは、青い空と海のはざまに立つ白亜の灯台。明治32年以来、航海者たちの安全を照らす水先案内人として活躍しています。室戸岬の先端、標高151mにあり、レンズの大きさは直径2m60cmと日本最大級。毎年11月1日に近い日曜に行われる「灯台まつり」の日には、内部を一部一般開放しています。
33.24693
134.17577
222
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蓮池城址
蓮池城は、平重盛家人の土佐守護蓮池家綱が居城としたのに始まるといわれているが、はっきりしたことは分かっていない。土佐七雄に数えられる大平氏をはじめ戦国武将が、数々の興亡を繰り返した城である。 城址は城山公園となり、桜の名所として市民に親しまれている。
33.493374
133.41505
223
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八代の舞台
いの町の東部の八代八幡宮の境内にある。
11月5日の神祭に、地区の青年により芝居が奉納される。
33.559834
133.46304
224
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鳴無神社
鳴無神社は、寛文3(1663)年第2代土佐藩主山内忠義によって再建された本殿・幣殿〔へいでん〕・拝殿の3棟が、国の重要文化財に指定されている。
参道が海から入るように作られており、海に向かって建つため、「土佐の宮島」と呼ばれることもある。
33.41427
133.36885
225
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掛橋和泉邸
掛橋和泉は那須常吉の次男で名を吉長といい、梼原村の神官の掛橋因幡に養われた。志士たちの旅費を借財してまで調達した。享年28歳。かつての掛橋和泉邸は、現在、吉村虎太郎が務めた梼原村庄屋の屋敷地跡に移築されている。中二階の小部屋や、奥の間にある床の間右側には脱出口などがある。
33.391754
132.9291
226
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岩崎弥太郎生家
明治初年土佐藩所有の船舶の払い下げから、海運業を興し、「東洋の海上王」と呼ばれ、三菱グループの礎を築いた岩崎弥太郎の生家。
茅葺きの平屋で、庭には日本列島を模した庭石が配置されている。
33.52628
133.89992
227
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絵金蔵
幕末土佐で活躍した絵師・金蔵、通称「絵金」の資料館。香南市赤岡町に伝わる絵金の芝居絵屏風23点を中心に収蔵・展示している。
夏祭りの夜の雰囲気を再現した展示室や、壁の穴から実物の芝居絵屏風を覗き見できるしかけなど、ユニークな展示方法で絵金と土佐の芝居絵屏風を飾る祭礼文化を紹介する。
33.54179
133.72447
228
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第38番札所 蹉陀山 補陀洛院 金剛福寺
弘仁13年嵯峨天皇の勅願によって弘法大師が三面千手観音を本尊として今から1200年位前に建立したもので、当時より格式の高い南海の名刹として栄え、多数の参拝者がある。
32.72593
133.01857
229
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筒井食堂
はちきん地鶏と幻と言われる大川黒牛の牛丼が食べられ、お食事処でもあり旅館でもある「筒井旅館・食堂」
平日のお昼は地の食材を使った日替わり定食があります。
地域の野菜をたっぷり使った、どこか懐かしいお味。
ごはんの量も大・中・小からお選びいただけます。
お宿の窓からは早明浦ダムを見渡せます。
33.78415
133.46623
230
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護国神社
明治元年(1868年)戊辰戦争の戦死者を祀ったのが始まり。境内にある南海忠烈碑には維新志士85人の名前が刻まれており、龍馬や中岡慎太郎、吉村虎太郎を始め、岡田以蔵も合祀されている。
33.544594
133.57112
231
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いの町紙の博物館
いの町は古くから「紙の町」として栄えてきた。仁淀川の流域には多くの紙工場が立ち並び、日本一と謳われた清流の水をふんだんに使って、日々良質な紙を製造している。
いの町紙の博物館では、紙の歴史や原料から土佐和紙ができるまでの工程をパネルや現物でわかりやすく展示。職人による伝統の技法「流し漉き」の実演、色紙やはがきを作れる「紙漉き体験」が人気である。また、絵画・版画・美術工芸用などの土佐和紙をはじめ、各種紙製品を販売している。
33.54787
133.42339
232
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四万十市郷土博物館
山内一豊の弟、康豊の居城であった中村城跡に建つ城の形をした博物館で、天守閣(展望台)からは、四万十川、東山を望み、市街地を一望することができる。
館内には、土佐一條家、中村山内家、幕末の志士・坂本龍馬らと親交があった樋口真吉、明治を代表する中村出身の社会主義者・幸徳秋水の遺品などを展示しています。
32.986584
132.9398
233
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魚梁瀬ダム
奈半利川水系奈半利川にあるロックフィルダム。堤高115m、堤頂長202m。国内屈指の多雨地帯である奈半利川流域では最大規模のダムで、堤高は四国で最も高い。※ダムカードの配布場所は、〒781-6445 安芸郡北川村永山177 高知電力所。
33.592777
134.1122
234
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坂本龍馬脱藩の道
梼原町の中心部にある三嶋神社は、延喜19年(919年)に建立されたと伝えられる。この神社のすぐ横を「坂本龍馬脱藩の道」が通っている。龍馬は文久2年(1862年)3月下旬、沢村惣之丞と共にここから宮野々関、韮ヶ峠を経由して脱藩した。
33.3965
132.92786
235
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明星来影寺
平安時代の宗教家である弘法大師空海の著書「三教指帰」に”室戸崎にて勤念す”と記され、青年時代難行苦行の末に悟りを開かれたのが、現在の高知県室戸市であります。昭和59年に室戸阿南海岸国定公園を目の前に控えた絶景の地を明星来影の丘”と定め、日本最大の弘法大師立像を建立、そして明星来影寺と名付けられました。お像は室戸青年大師と称されています。目前には壮大な空と海が一面に広がっています。
33.254025
134.18079
236
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濱口雄幸像
「政治は物質面だけではなく、国民の精神も豊かにするのが任務。そのためには政治家が袖を正さなければならない」と語った第27代内閣総理大臣、濱口雄幸の像が五台山頂上の公園に建立されている。高知生まれの政治家であり、大蔵大臣、内務大臣、内閣総理大臣、立憲民政党総裁などを歴任した雄幸は、その風貌と篤実な人柄から〈ライオン宰相〉と呼ばれた。
33.54754
133.5744
237
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発生寺
真言宗の寺院。この寺の住職だった智隆は吉村虎太郎を通じ勤王運動にも参加し、文久3年(1863年)には脱藩もしている。そのため勤王志士たちもよくここに集い謀議を開いたという。境内には智隆の墓や龍馬が木刀で切り落としたと伝えられる地蔵や龍馬手植えの松といわれるものがある。
33.39212
133.28941
238
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第33番札所 高福山 幸福院 雪蹊寺
臨済宗の寺。平安初期、弘法大師空海の開創の折は、真言宗の寺で高福寺と称したが、長宗我部元親が臨済宗に改宗した。
雪蹊は、元親の法号。
運慶作本尊の薬師如来及び両脇侍像と、寺宝の十二神将像、毘沙門天及び脇侍像は国の重要文化財。特に毘沙門天3尊は運慶の長男の作として著名。
33.50083
133.5431
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吉良川の町並み
その昔、良質な木炭と薪が取れることから「土佐備長炭」の積み出し港として大いに栄えた吉良川。
土佐漆喰を使った白壁と、台風などの強い雨風から町屋を守るためにつけられた水切り瓦が独特の景観をつくっている。その町並みは、どこかなつかしい時代へタイムスリップしたような感じ。
おじいちゃんやおばおちゃんのなつかしい声がきこえてきそう。
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高松順蔵・千鶴の墓
安田町役場前の道はやや登り坂だが、そこを登ると右下方に安田小学校がある。その左手道ばたに「高松小埜・千鶴の墓所」への案内板がある。千鶴は坂本龍馬の長姉で、親戚である高松順蔵の元へ嫁いだ。順蔵は文武両道に秀で人徳もあったため、近隣の石田英吉や清岡道之助、柏原禎吉など多数の若者から慕われた。
33.44073
133.98064
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野根山街道【北川村】
奈半利町から野根山連山を尾根伝いに東洋町野根に至る延長35km余りの自然遊歩道。その歴史は古く、1200年以上前に国司の移動のために整備され、藩政時代には参勤交代や中岡慎太郎ら幕末の志士の脱藩の道でもあった。道の両側にそのままの姿で残る一里塚~五里塚や、宿屋杉、屋敷跡の石垣や墓地等の史跡、土御門上皇が名付けたという岩佐の清水、旧藩林や天然林と見どころも多い。
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田宮虎彦「足摺岬」文学碑
足摺岬の椿のトンネルを抜けると、白亜の灯台の近くに、田宮虎彦の名作『足摺岬』を記念した「砕け散る荒波の飛沫が崖肌の巨巌いちめんに雨のように降りそそいでいた」と刻記した石碑が立てられている。
32.72407
133.02028
243
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山内一豊の妻の銅像
33.56069
133.53152
244
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大津民具館
大津地区で昔使われていた民具を中心に収集し、展示・保管している。
33.571823
133.60234
245
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鹿島神社
鹿島は清水港の最奥部に浮かぶ小島であったが、今は東側から埋め立てられ陸続きとなっている。島の面積は2haほどで全てが境内値となっており鹿島神社の神殿が島の頂部にある。
32.77783
132.95924
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濱口雄幸生家記念館
高知市の史跡。元内閣総理大臣の濱口雄幸(浜口雄幸)の生家。地元有志の尽力として荒れ果てていた生家が復元され平成6年に記念館として開館。
33.538353
133.58833
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水原秋桜子句碑
地元俳人・田村吾亀等らが発起し土佐清水市等が協力して建立。昭和38年10月下旬同人誌「馬酔木」の同人数名と足摺岬に遊んだ時の句である。「岩は皆渦潮しろし十三夜」足摺岬「竜の駒」展望台前にこの句碑が建つ。
32.725407
133.02068
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木造薬師如来坐像【竹林寺】
国指定の彫刻 一木造、像高107cm。
33.546608
133.57733
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天の神の神楽
銅鐸をご神体とする熊野神社で500年程前から13年目ごとに「天の神もうし」がおこなわれてきました。近年では7年12月の最初の日曜日に執行され、「八男乙女の舞」「弓の舞」等が奉納された。
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竹林寺庭園
高知県指定の名勝 客殿、書院、茶室の庭で、自然の山腹を背景とし、池、石橋、飛石等を配す。室町期の趣を伝えた江戸中期の作。
33.546623
133.57738
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土居市太郎墓
土居市太郎は天保4年(1833年)夜須町横浜に生まれた。墓は夜須町観音山(通称・命山)。亀山社中や海援隊の乗組員の一人として活躍した。また、岩崎弥太郎から商才を見込まれ、九十九商会の総代を任された。日本郵船の前身の「東京飛脚船」でも活躍し、三菱王国の基礎を作った。明治6年(1873年)7月、海難事故にあい命を落とした。
33.53674
133.75206
252
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四万十の文化的景観5
黒尊川区域には広大な森林が広がり、四万十川との合流部に位置する口屋内には、木材搬出や物資輸送の中継地として機能した集落の姿が見られる。下流区域では、火振り漁などの漁場を形成するなど、人と川の密接な関わりが景観を形作っている。河口区域に広がる広大な汽水域では、ウナギのイシグロ漁やアオサノリ養殖などの漁労が今に続き、四万十川の豊かさを象徴する景観となっている。
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253
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新之丞の碑
新之丞は、藩政時代初期に伊予より現在のいの町成山に移り住み、安芸家友に製紙技術を伝えた。
その後、この地区を出ようとして、技術が他国に伝わるのを恐れた家友に殺害されたと伝えられている。
いの町成山の仏が峠に、この新之丞を弔う記念碑が建てられている。
33.570423
133.407
254
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中濱萬次郎翁記念碑
正五位が贈られた記念に出生地である土佐清水市に建てられた中濱萬次郎記念碑。米ひきの失敗を咎められて飛び出した先で、漁師になるきっかけとなる出会いがあったというエピソードから手前には石臼が置かれている。日本人として初めてアメリカに渡り、西洋の知識や情報を持ち帰った萬次郎は、当時の日本に多大な功績を残した。
32.75794
132.96417
255
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木造十一面観音立像【竹林寺】
国指定の彫刻 一木造、像高48.8cm。頭上に11面の化仏をおく。檀像様彫刻の流れをくむ本県最古の木造彫刻
33.546642
133.5773
256
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片岡健吉の生家跡
自由民権家。土佐藩士として戊辰戦争に参加後、イギリスに留学。帰国後は立志社社長をつとめ、終始自由民権運動の先頭に立った。第一回衆議院選挙以降当選を重ね、衆議院議長在任中に病死。また基督教徒であり、同志社社長をつとめた。
33.558224
133.53766
257
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宿毛城跡
宿毛山内氏の居城跡。現在は石鎚神社が立っている。この城は山内一豊の甥、安東可氏(あんどうよしうじ)が山内姓を許され、1601(慶長6)年から宿毛6千石の居城とした。元和の一国一城令により廃城となる。別名を松田城という。
32.941345
132.7297
258
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鹿持雅澄邸跡
高知県指定の史跡。国学者、歌人の鹿持雅澄(1791~1858年)は生涯をこの地で送った。家老・福岡孝則の知遇を得て、藩校教授館の写本係となり、注力した万葉集研究は「万葉集古義」として結実。邸跡には古井戸が残存するのみ。周辺に頌徳碑、墓所もある。
33.56729
133.50746
259
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仁淀川町の観光を考える会
文治元年(1185)3月源平最後の合戦である「壇ノ浦の戦い」で入水したとされる安徳天皇(平清盛の孫)にまつわる伝説が、四国山間各地に伝えられている。中でも仁淀川町、越知町に残る伝承では、徳島県東祖谷から吉野川を上流へ逃れ仁淀川町に入り最後は、越知町横倉山にたどり着きここで最後をむかえたとされている。平家落人伝説の残る各地を訪ね、歴史ロマンに触れながら、日本の原風景の残る土佐の秘境を訪ねる。
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片口繩文土器
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野根遺跡
野根小学校の前付近の弥生時代の遺跡。県最東端の弥生遺跡で、紀伊水道に面する県唯一の遺跡。石棒や太型蛤太刃石斧、土器片等が出土している。
33.50786
134.25963
262
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熊野神社の銅鐸
県指定の文化財。
1186(文治2)年、平重盛の家臣大野源太左衞門が、紀伊の熊野宮から勧請したと伝えられる熊野神社のご神体とされている弥生後期の銅鐸。
出土地は明確ではなく神社の近くで発掘されたといわれている。
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細木庵常の墓
高岡郡新居村(現土佐市新居)の庄屋の家に生まれ、転村を繰り返した典型的な転勤型庄屋。庄屋勤役中の経験を生かした農書『耕耘録』は貴重な資料である。庵常は、国学の素養も深く、歌人としても有名で、今村楽や鹿持雅澄とも交流があった。天保12年(1841年)に庄屋の待遇改善を求めて結ばれた天保庄屋同盟では、中心的存在となり、尊王思想を盛り込んだ同盟文を書いたのは庵常だと考えられている。
33.46128
133.46057
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大石圓生家
1829年~1916年。幕末の志士大石圓(通称:弥太郎)の生家。土佐勤王党の盟約文となる檄文を起草し、武市瑞山率いる土佐勤王党の副首領となった。
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佐喜浜の経塚
法華経経典を経筒に納め土中に埋め現世未来の御利益を祈り衆生の済度を希求したもの。県内最古の古碑であり県指定の史跡である。
33.39423
134.20444
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牧野富太郎生誕地の碑
司牡丹の酒造や数多くの古民家が残る上町地区の一角に生誕碑がある。
現在は、空き地になっているが、牧野富太郎はここで、酒造業「岸屋」のひとり息子として生れた。
33.499023
133.28665
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宗安禅寺の屋頂宝珠
高知県指定の歴史資料 尾戸焼の開祖久野正伯の弟子山崎平内の作品で紀年銘をもつ。全高81.3cm。
この屋頂宝珠は尾戸焼の在銘品として県内最古のものである。
33.57133
133.47836
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松尾天満宮廻り舞台
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奈半利川捨石の記念碑
寛政12年(1800年)前年からの出水で、奈半利の田畑が土砂で埋まったため、護岸用捨石1~5トンを約500個入れている。又その後の次と行なわれ、明治40年(1907年)、120個の捨石を投入した刻字がある。
33.437714
134.02762
270
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種間寺の薬師如来坐像
33.491745
133.48753
271
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六体地蔵
関ヶ原の戦いの後、幕府により浦戸城の新領主・山内氏への明け渡しが求められた。その際、旧主のために一領具足が明け渡しに抵抗したのが浦戸一揆である。昭和14年12月、野市町(現香南市)の住職が、浦戸一揆で討ち取られた273名の一領具足を供養するために広く浄財を募り建立された。
33.495434
133.57008
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十和民具館
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中平善之進像
両手を広げて仁王立ちになり、はやりたつ民衆を押し止める庄屋・中平善之進の銅像。宝暦の時代、藩の制度により窮乏した津野山の農民達を救おうとし、打首の刑に処せられた善之進の遺徳を偲んでつくられた。国道を挟んで対する位置には、善之進の霊を祭った風神鎮塚が建てられている。
33.392082
132.97795
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為松公園周辺の史跡
32.997585
132.92932
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木造薬師如来坐像【香仏寺】
市指定の文化財。三崎香仏寺の薬師如来像は、膝の広さや肉髻の高さ、鼻筋の線等から藤原時代のものといわれる。
32.79347
132.87141
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山田城跡
鏡野中学校の東、楠目の城山にある。
山田氏は中原太郎秋家を祖とし、戦国時代に山田、佐古を根拠地として物部川流域を支配下におさめ、所領三千貫と称された。
天文期(1532~1554)の終わりごろ長宗我部国親に攻められて落城した。空濠、土塁が音の名残りをとどめている。
33.61206
133.69781
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介良民具館
介良地区で昔使われていた民具を中心に収集し、展示・保管をしている。
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久礼城跡
土佐久礼駅の西側、国道56号線沿いにある、土佐一条氏の重臣佐竹氏の居城跡。佐竹氏はのちに長宗我部氏の軍門に下り、大阪夏の陣で長宗我部盛親と命運をともにした。
33.32803
133.22218
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行余館跡
中村に置かれた郡奉行所に付属した学校で、安政2年(1855年)6月に開校。初めは文武館、次いで敬止館、のちに行余館と改められた。土佐藩東部の田野に置かれた田野学館同様、職員は郡奉行、下役、留書役、文武取立役、郷廻役、門番などがおり、文武両道を学べる学校だった。教授は樋口真吉や安岡良亮ら。また、山崎慎六郎や桑原譲らも指導に当たった。 敷地は現在の中村大神宮とその北部で、碑が大神宮北側に建っている。
32.996765
132.9328
280
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純信堂
文政12年(1829年)現在の土佐市市野々に生まれ、「坊さんかんざし買うを見た」のよさこい節で有名な純信を祀ったお堂。
33.451485
133.33734
281
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金銅大鍬形(宿毛歴史館蔵)
高知県指定の工芸品 銅鍛造金鑛金。起上り寸法95.5cm。「立願・文安元年甲子八月甘口口」と銘あり。(幡多郷土資料館蔵)
32.938763
132.73045
282
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「土佐日記」文学碑
貫之の通過を記念して、『土佐日記』の一節「かくて宇多の松ばらをゆきすぐ…枝ごとにつるぞとび通ふ」とその解説を刻んだ文学碑が、リゾートホテル海辺の果樹園の南の庭に立っている。
33.521614
133.7619
283
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木造釈迦如来坐像
国指定の彫刻 一木造、彫眼、像高85cm。(藤原時代)
33.54668
133.57733
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徳弘孝蔵(董斎)邸跡
孝蔵は代々土佐藩の御持筒役を勤める家に生まれた。9歳の時には島田流砲術師範松木重右衛門に入門した。長じてからは、12代藩主豊資の命により高島流砲術の下曽根信敦のもとへ入門した。半年後には免許皆伝となり、土佐初の洋式砲術家となった。帰国後は、仁井田浜などで砲術の伝習を行い、多くの人の藩士が門人となった。孝蔵は南画にも優れており、薫斎の号で秀作を残している。武市半平太などは砲術・絵画両方の弟子だった。
33.557743
133.51361
285
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観音正寺観音堂
高知県指定の建造物
2代藩主山内忠義の建立と伝えられ、3間4方に向拝がついた小さなお堂。彫刻が極めて優秀。
高知県指定の建造物文化財
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一絃琴
県の無形文化財。長さ110cm、幅14cmほどの桐の上に張られた1本の絃の琴で演奏する。絃の長さは3尺6寸5分。古くはインド、中国でも演奏された。土佐の一絃琴は江戸時代中期、京都の真鍋豊平に学んだ門田宇平によって広められる。
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野中兼山遺族の墓
兼山の正妻市や長男清七、次男欽六、五男希四郎、三女寛、五女将、六男貞四郎などの墓が林立し、草におおわれ、厳しい幽閉の生活を送った兼山一族の悲劇を今に伝えている。伊賀家初代可氏とその家族の墓もある。
32.94016
132.72661
288
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岡本寧浦塾舎跡
安芸郡安田浦の乗光寺に、五代目住職の子として生まれた岡本寧浦は、土佐藩屈指の儒学者として名を馳せた人物。12代藩主山内豊資に知られ藩校教授館の教授となり、13代藩主山内豊熈の信任も受けた。高知城下新町に開いた家塾の門下には岩崎弥太郎、清岡道之助、中江兆民、河田小龍など千人を超える。
33.56237
133.54779
289
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長徳寺跡
中世吾橋荘の遺跡。1149(久安5)年、開発領主頼則[よりのり]・盛政らが菩提寺として建立した寺。開発された土地は長徳寺領として紀州の熊野神社に寄進され、吾橋荘と言われた。
33.755405
133.56294
290
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松尾金比羅宮石灯籠
市指定の文化財。松尾金比羅宮石灯籠は、松尾部落の北の山腹に祀る金比羅宮祠の境内にあり、安政7年(1860)3月に建てられたもので、高さ266cmの砂岩で造られた石灯籠。
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「江藤新平君遭厄地」の標石
甲浦小学校のかたわらの平和塔境内に立つ標石。1875年(明治8年)佐賀の乱に敗れた江藤新平は徳島に逃れる途中この地で捉えられた。
33.545177
134.29613
292
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鹿島神社々叢
鹿島神社は、土佐清水市旭町にある。祭神は、武甕槌尊で、境内に末社の香取宮がある。
大正5年には、旧町内にあった天満宮と本清水神社を合祭している。
かつては港内の瓢箪形の小島が境内となっていたが、昭和40年に鹿島公園の造成で旭町と陸続きになり、現在に至っている。
鹿島神社では、春と秋に神祭を行っており、鹿島神社では、春と秋に神祭を行っており、鹿島神社々叢、鹿島大明神扁額、鹿島の砲台跡は、
土佐清水市の推進文化財として、指定されている。
32.777775
132.95921
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土佐日記「那波泊」
延長八年(930年)土佐守に任ぜられて土佐に下向した紀貫之が、住み慣れた国司の館をあとにし、承平5年1月9日に那波の泊に着いたとされている。
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枝川古墳群
いの町指定文化財 1966年発掘
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千屋家墓地
千屋家は和食の庄屋で、龍馬の下で活躍した千屋寅之助(菅野覚兵衛)はここの出身である。龍馬とは文久2年(1862年)頃に出会い、勝海舟の塾に入った。龍馬の死後、お龍の妹君枝を妻としたことから、お龍は千屋家で世話になった時期がある。この墓地には、寅之助の父祖などの墓がある。寅之助と君枝の墓は東京にある。
33.521294
133.81557
296
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茂串城跡
中世の豪族、仁井田五人衆の一人窪川氏の居城。現況は山林となっている。別名を窪川城。登城口は岩本寺南側にある。
33.20454
133.13466
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真静寺文書
高知県指定の子文書。長宗我部元親書状等6点の文書。
32.963753
132.82896
298
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源希義の墓
源希義は源頼朝の同母弟で、父義朝が平治の乱(1159年)の敗戦により土佐国に流される。頼朝の挙兵に応じようとしたが、平家方に討たれた。
33.556606
133.6071
299
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押ノ川の一里塚
松田川と中筋川とに雨水が分かれる市山峠の西約200mの国道沿いに、旧藩時代の一里塚がある。柏島(大月町)法蓮寺の僧日教が、貞亨元(1684)年にたてた高さ約3mの石碑が残っている。県の文化財。
32.943333
132.76
300
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ジョン万次郎船出の地
15歳のとき土佐清水市中浜から土佐市宇佐へ出稼ぎに来ていた万次郎は天保12年(1841年)、筆之丞の船に雇われこの地から出漁。足摺岬沖で嵐に巻き込まれ、漂流することになる。公園入口にあるニタリクジラのモニュメントのそばに、記念碑と案内板が設置。
33.449867
133.4529
301
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開成館跡
幕末、殖産興業と西洋風の科学教育の振興と富国強兵を目的として建設された。事業廃止後は迎賓館となったが後に取り壊され、板垣退助邸を移築後、昭和40年に、立て直され憲政記念館となっている。
33.556183
133.55153
302
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馬路村天保の民家
馬路村指定文化財。馬路村で現存する最も古い天保年間の民家に属し、県下の山村型民家としても古い形式を残している。
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真覚寺
土佐市宇佐町渦尻にある浄土真宗大谷派本願寺末寺。住職井上静照が安政元年(1854年)から慶応4年(1868年)まで綴った日記『真覚寺日記』が所蔵されている。安政の大地震の記録とともに当時の社会状況が克明に記録されており、幕末の土佐を知るには欠かせない資料である。原本は「地震日記」九巻、「晴雨日記」五巻からなる。『真覚寺日記』の名称は高知の歴史家寺石正路の命名である。
33.452785
133.45364
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御田八幡宮
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木造地蔵菩薩坐像【金水寺】
高知県指定の彫刻 ヒノキ材の寄木造。像高139.4cm。藤原時代末
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木造薬師如来坐像【長楽寺】
「長楽寺薬師堂」・・・長楽寺は現真行寺の場所にあった寺で、『南路志』には「円海山慈福院長楽寺開基不知天台宗陽貴山末」と記されている。
慶長8(1603)年、山内一豊が国内巡見の際や二代忠義が参勤交代の時止宿し、上段の間があった。
明治4(1871)年の廃仏毀釈によって廃寺となり、現在薬師堂が残っている。
本尊の薬師如来坐像(像高108.0cm[指定] H8.4.30)は高知県保護有形文化財、日光・月光両菩薩立像は香南市保護有形文化財に指定されている。
33.59608
133.82494
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木造白衣観音立像
国指定の彫刻 寄木造、玉眼、彩色剥落、像高115cm。木彫の白衣観音は類例が少ない。
33.546608
133.57736
308
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樋口真吉邸跡
中村病院横を右折すればすぐ左手に樋口真吉邸跡の標柱がある。平成13年中村市(現四万十市)教育委員会によって新しく建てかえられた。真吉は武市半平太の土佐勤王党に呼応し、西部のまとめ役になる。勤王運動に関する日記『遣倦録』は貴重な資料。その中に、脱藩直前の龍馬の記載がある。「坂竜飛騰」という四文字だけだが、龍馬という人物を見抜いた言葉であり、龍馬も真吉を非常に信頼していた。
32.99483
132.93225
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佐竹音次郎辞世の句碑
竹島集会所にある音次郎辞世の句が刻まれた石碑。句に詠まれている老松のそばに建立されたが、奇しくも音次郎命日の前日に焼失したという。
32.968933
132.97557
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土御門上皇仙跡碑
1221(承久3)年、承久の乱で土佐国幡多へ流された土御門上皇が、土佐から阿波へ遷る途中、ここで名月を眺めて都をしのんだという伝承から月見山の名が生まれ、これを記念して立つ碑。「鏡野やたが偽りの名のみにて恋ゆる都の影もうつらず」(「土御門院御集」)
33.539173
133.7443
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木造薬師如来立像
国指定の彫刻 33.5cm像。寄木造、漆箔、玉眼。応永23年(1416)の修理銘あり。(鎌倉末期)
33.598663
133.64044
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宗安禅寺の仏像
不動明王坐像・持国天像・増長天像の3体の仏像があり、いずれも国の重要文化財。中央の不動明王坐像はヒノキの一木造、像高142.3cm、鎌倉時代の作。持国天像は像高160.2cmのケヤキ材の一木造り、増長天像は像高135.3cmのヒノキの一木造り。
33.57133
133.47836
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下分遠崎遺跡
縄文晩期から弥生時代にかけての遺跡。縄文晩期系の土器や弥生期の水田耕作に伴う木製農具、ドングリやヒョウタン等の堅果類や種子類、籾等を大量に出土。
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四万十の文化的景観2
梼原川上流区域は、様々な渡河の方法や川への信仰を伝える集落と源流域における合理的な水利で維持管理されてきた棚田の景観地。急峻な山肌に幾層にも重なりあった千枚田と呼ばれるこの棚田は、農業の原風景ともいえる貴重な文化的景観。梼原川中流域は、豊富な水量により漁労や舟運を成り立たせ、河川水を巧みに利用してきた集落と、梼原町の人々の暮らしを成り立たせてきた棚田と森林の景観地。
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小牧天山・米山邸跡
安芸市土居廓中にある。弥太郎が幼少の頃通った小牧米山塾跡。米山は、兄天山とともに家老の五藤家の塾で儒学を教えた。米山兄弟は実学に力を入れ、領民の産業振興に尽くしたといわれる。米山は自宅でも塾を開き、ここに弥太郎が通った。明治中頃、医師であった寺村家が所有し、現在の建物は、明治後期から大正にかけて建てられ、寺村家住宅として国の登録有形文化財に登録されている。
33.51797
133.9114
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常賢寺跡
町指定文化財(史跡)。境内には付六地蔵、経塚、佐竹義直主従の暮がある。
33.33301
133.22385
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林有造像
逓信大臣、農商務大臣となる一方、終始、故郷の宿毛発展に尽した政治家・林有造の徳を称え、建設された銅像。初代の高知県知事で、板垣退助の片腕として中央政界でも波乱の生活を送った有造は、片岡健吉らと立志社を創設し、自由民権運動に参加。宿毛に帰ってからは、新田築造などの宿毛発展策を推進した。
32.9247
132.70227
318
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吉良城跡
戦国時代の土佐の七守護の一人吉良氏の居城跡。標高は110mあまりの山城で南北両嶺からなり、詰(本丸)は北嶺。城の西山下にある土居屋敷跡とあわせて、「土佐の一乗谷」と注目されている。
33.51156
133.45877
319
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純友城跡の伝承
松尾峠の西300mの山頂には天慶の乱を起こした藤原純友が妻を隠したという伝承が残る純友城跡がある。
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森林生態学習館
33.70849
133.3646
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横倉宮
日本最古の4億年前の石灰岩から成る高さ約80メートルの断崖の上に建つ横倉宮。
平清盛の4男で勇将として名を馳せた平知盛が、安徳天皇を玉室大神として祀った神社である。
本殿は春日造り、拝殿は流造りとなっている。明治期には“御嶽(みたき)神社”、さらに古くは横倉山修験道の“上ノ宮”と称されている。
背後の断崖は敢えて危険を冒して断崖の先端に足を運ぶ人にちなみ、“馬鹿か否かを試す”という意味も含め「馬鹿試し」と呼ばれている。
石灰岩の岩上には、高知県出身の世界的植物学者・牧野富太郎博士の発見・命名による“横倉山タイプ植物”の「ヨコグラノキ」や「イワシデ」、「ヒナシャジン」などが自生している。
33.535877
133.20784
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朝倉城跡
土佐戦国の七守護のひとり本山氏の居城跡。長宗我部氏との抗争の中、本山に撤退する折に、本山氏自ら城を焼いて以来廃城となる。城跡の標高103m。二ノ段・三ノ段等、中世山城の典型的な遺構が残る。
33.547073
133.48056
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古津賀遺跡群
土佐くろしお鉄道鉄橋の下流で、弥生時代中期~古墳時代に営まれた遺跡である。当時の人々の川のかかわりや、それに対する信仰の一部が見える祭祀遺跡である。同じ祭祀遺跡に佐岡遺跡、具同中山遺跡群等がある。
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木造彌勒如来坐像
村文化財指定。平安時代作。
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紙のまちいの町の町並み
いの町の市街地には、いまもむかしの面影を残す紙問屋の商家や漆喰壁の民家が点在し、時代を映す豪壮な商家の町並みに、紙の町として発展した栄華の跡を偲べる。
33.5491
133.42479
326
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日蓮上聖人真筆及び真筆形木
高知県指定の書跡 4幅。日蓮聖人曼陀羅本尊、日蓮聖人遺文御輿振御書断片、上野郷主等御返事(形木)、日新上人開眼形木日蓮聖人曼陀羅本尊。
33.55323
133.53711
327
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田中光顕屋敷跡の碑
佐川町から東へ国道33号線を15分あまり歩いた山の手にある、佐川勤王の中心人物である田中光顕・大橋慎三・山中安敬らの屋敷跡の立つ碑。周囲は公園化している。
33.5014
133.29987
328
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村田忠三郎頌徳碑
吉川町出身の郷士で幕末の志士。土佐勤王党に加盟し、江戸で山内容堂の側役を勤めたが、勤王党弾圧で下獄、斬罪された。
33.546276
133.71077
329
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佐喜浜八幡宮
天福元年(1233)に建てられたとされる。秋の大祭では「佐喜浜古式行事」として一連の行事を県の無形民俗文化財として指定しており、その行事の中でも「狂い獅子」「俄」は有名である。
0.0
0.0
330
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芳奈の泊り屋
県保護有形民俗文化財。昭和29年7月20日指定。芳奈には国指定の浜田の泊り屋の外に県指定の次の3つの泊り屋がある。泊まり屋は江戸時代から明治、大正にかけての若者の風習を知るうえでの貴重な遺産。
32.973145
132.79256
331
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稲村ダム
標高1123mの高原にできた湖で、堰堤の高さ88mのロックフィルダム。
33.74111
133.37036
332
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野中兼山墓
兼山は2代藩主山内忠義の下、1631年(寛永8年)から30年にわたり執政として、土佐藩の基礎となる様々な改革を断行した。晩年は強引な手法や過酷な夫役などへの反発から失脚し、1663年(寛文3年)急死。墓所は娘・婉の建立による。高知市指定史跡文化財。
33.548695
133.53699
333
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山田町番所跡
山田橋の南詰東側が藩の獄舎跡地で、西側が番所跡。この橋は北街道、東街道からの城下への入り口であり番所と高札場があった。この獄舎は、文久2年(1862年)には青蓮院宮の令旨を得て、隠居中の山内豊資のもとで藩政改革を行おうとし、山内容堂の怒りに触れた間崎滄浪、平井収二郎、弘瀬健太らが投獄され切腹処刑された所である。また、岡田以蔵ら勤王党の志士たちが投獄、斬首された場所でもある。
33.563683
133.54605
334
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金林寺の仏像【金林寺】
金林寺には国指定の文化財として木造不動明王立像(像高100.6cm)、木造毘沙門天立像(像高104.5cm)がある。
県指定の文化財として、木造薬師如来坐像(像高92.0cm)、附木造如来形坐像(像高570.0cm)がある。
すべて一木造。
33.550472
134.0467
335
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鹿島の砲台跡
鹿島砲台跡は、土佐清水市旭町の鹿島神社本殿南側にあり、文政8年幕府の「異国船打払令」によって、土佐藩在役郷士等が港口に向けて構築した堀切状大筒場の壕である。深さ2.5m、巾6.5m、奥行き15mあり、右側に火薬車跡が残る。この砲台については、天保13年(1842年)5月、山内望遠公が砲台の射的を巡覧したと『鹿島神社記録』に記されている。
32.7775
132.95924
336
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津野山舞台
高知県指定の有形民俗文化財 四万川の円明寺、越知面の三嶋五社神社、宮野々の白尾神社の3か所にある農村舞台
[指定]
S37.1.26
0.0
0.0
337
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室津港と周辺の史跡
室津港は最蔵坊(小笠原一学)によって掘られたのが始まり。ついで野中兼山により手が加えられ、一木権兵衛が港東の岩礁を除いて完成させたのが1679年(延宝7)のことである。
33.287067
134.14838
338
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坂本太郎五郎の墓
坂本家初代・太郎五郎の墓は、石の観音扉が付いた石殿に入っている。墓の側面には、山城国の生まれで、畿内の欄を避けて弘治・永禄(1555年~1570年)の頃に移り住んだことが刻まれている。才谷にある初代から三代目までの墓を建てたのは、六代目の坂本直益で、この人物が坂本という名字を使い始めた。太郎五郎の名前は、長宗我部検地帳にも記載されている。
33.63241
133.64594
339
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要法寺の画像
高知県指定の絵画 5幅。紙本著色山内庚豊画像、絹本著色慈仙院画像、絹本著色恵沾院画像、三十番神画像、鬼子母神画像。
33.55323
133.53711
340
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山嶽社
明治時代にこの地域の自由民権運動の拠点だった場所。板垣退助の秘書、和田三郎の生家でもある。和田三郎は板垣退助の秘書として活躍した人物。建物は平成3年に復元された。今は、子供達の勉強会などに利用されている。
33.63823
133.55576
341
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安徳天皇陵墓参考地
源平の戦いに敗れ、従臣たちと四国の各地を潜幸(せんこう)した幼帝・安徳天皇。最終的に越知町横倉山に辿り着き、同地で暮らすも23歳で崩御されたと伝えられている。
全国にある陵墓の参考地として宮内庁から指定されている5ヶ所の内の一つで、安徳天皇が従臣たちと蹴鞠をして遊ばれた所とされ、“鞠ケ奈呂陵墓参考地”とも言われている。
横倉山の奥で静かに佇む陵墓参考地は、どこか厳かな雰囲気。111段の広い立派な石段を上り詰めた所にあり、御影石の二重の玉垣によって取り囲まれている。
また、西隣の平坦地は安徳天皇が乗馬の練習をされたと伝えられ、“御馬場跡”と呼ばれている。
33.535915
133.20148
342
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唐船島一条教房御歌
南海大地震で隆起したことで知られる天然記念物「唐船島」に建つ。「土佐のうみ 南のきしに 船とめて 猶やさかえん きたの藤浪」
0.0
0.0
343
.
具同中山遺跡群
具同中山・東神ノ木・ボケ遺跡は、中筋川流域の祭祀遺跡として知られていたが、近時の調査によって具同中山遺跡群と総称されることになった。弥生時代前期~近世にかけての複合遺跡。
32.974155
132.90686
344
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熊野神社御正体
町指定の文化財(工芸)
0.0
0.0
345
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小村神社の壺
村指定の文化財。平安時代に作られた須恵器。その昔、剣3つとともに神池より出て小村神社に納められたと伝えられる。
33.543243
133.39299
346
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高加茂神社の銅矛
高知県指定文化財の考古学遺跡。中広型の銅矛 5本、青銅。高賀茂神社の神宝。
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木造阿弥陀如来坐像【竹林寺】
国指定の彫刻 寄木造、彫眼、漆箔、像高88.5cm。本県では珍しい典型的な定朝様の像。<指定>M44.4.17
33.546696
133.5773
348
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中村時計博物館
世界各国の時計約30,00個を集めた私設の博物館。ぜんまい式の懐かしい柱時計や懐中時計等展示。
33.57666
133.64522
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谷時中の墓
県の指定史跡。通称「瀬戸の箕越山」の山頂に立つ。時中は1599年(慶長4年)安芸郡東洋町に生まれ、高知市長浜の雪蹊寺で儒学を学び南学の確立に貢献する。その門下からは、野中兼山、山崎闇斎等を輩出した。
33.51949
133.54639
350
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木造増長天立像
クスノキ材一木造、彫眼、増高90.0cm。
33.54666
133.57735
351
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信守神社
加領郷の氏神で土御祖神を祀る神社。神事に鹿島流棒術と獅子舞が奉納されている。
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安楽寺の阿弥陀如来坐像
国指定重要文化財で鎌倉時代の作。ヒノキ材の寄木造りで、像高68.5cm。胸前に結ぶ“中品中生[ちゅうぼんちゅうしょう]”と呼ぶ説法印がある。像が置かれている安楽寺は、四国霊場30番札所奥の院。
33.566753
133.53313
353
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柏島の石堤
はげしい風波のため漁業もできなかった大月半島の先端にある柏島の漁民のために、江戸時代、野中兼山が14年の歳月をかけて築いた防波のための石堤。島民は石堤の側に野中兼山神社を建て兼山の偉徳をたたえている。
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梵鐘【竹林寺】
高知県指定の工芸 総高78.0cm。
33.546745
133.5773
355
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三社神社の木版彩画懸仏
直径28cm、厚さ1cmの円形杉板に一体の如来像が細かい黒線で描かれており、全国的にも珍しい。
現在、高知県立歴史民俗資料館で委託保管をしている。
33.60553
133.37384
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下夜須城跡
平安時代末から鎌倉時代にかけての源氏方の武将・夜須行家の居城跡。国道55号線から北方へ1.5km、夜須川東岸に横たわる標高40mほどの丘陵。またの呼び名を三つ城[みつしろ]と言う。
33.54219
133.76852
357
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加久見五輪塔群
市指定の文化財。この五輪塔群は、もと香仏寺裏山の中腹にあったものを、後世現在地に移されたものである。これらの塔は、中世期にこの地の豪族加久見氏一族とその家臣の墓であると伝えられており、その数は大小合わせて100基以上を数えられる。
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358
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姫野々城跡
姫野々城は半山城とも呼ばれ、長らく津野氏の居城であった。城山山上標高193mの高台に位置し、主郭は多数の畝状竪堀群に囲まれている。城山一帯に兵舎や武器庫跡、帯状曲輪、城八幡を持つ典型的な中世の山城の特徴が見られる。
33.44471
133.2169
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福田寺
武市半平太の釈放を求め決起し、奈半利河原で斬首された野根山二十三士の墓の他、石田英吉が建立した二十三士の碑や武市半平太像もある。
浄土宗西山派で、境内に建つ薬師堂には平安時代末期の作と思われる破損仏を始め、数体の仏像が安置されている。
33.42837
134.0137
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中城家
慶応3年(1867年)9月、龍馬が帰国したときに密かに潜伏した場所。龍馬は中城家が所有している屏風絵をよく見ていたという。中城家文書『隨聞隨録』に龍馬のことが記録されている。※現在は個人の居宅のため一般開放されていない。
33.509586
133.56963
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塩見俊二像(土佐市民公園)
政治への強い使命感と、尽きることのない教育に託した情熱をもって理想を追求し続けた塩見俊二。彼の遺跡を後世に伝えるため、土佐市公園内に銅像が建立されている。元参議院議員であった塩見は、私財の全てを投じて塩見文庫を創設。6万7千冊余の蔵書を高知県に寄贈するとともに、県並びに土佐市に青少年教育と文化振興のための巨額の資金を贈った。
33.49493
133.42012
362
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田ノ口古墳
県指定の史跡。西大方駅の北東約1km、国道56号線沿いの田ノ口小学校のすぐ東側山麓にある古墳時代後期(6世紀)の横穴式石室古墳。玄室の一部が残るのみ。須恵器とメノウ製の匂玉[まがたま]が出土している。
33.016064
132.99269
363
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蓬莱鏡
県有形文化財指定。時代康安2年作。
33.54317
133.39294
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安芸国虎の墓
戦国時代、安芸地方を治めた豪族安芸氏。その最後の武将国虎は四国統一をめざす長宗我部元親との合戦に敗れ、部下の命と領民の安全をひきかえに淨貞寺に入り自刃した。場内には、高さ1.4mの大きな五輪塔の国虎の墓があり、その両わきには、国虎に殉じた家老、有沢石見や黒岩越前の墓が立っている。国虎の墓は、昭和3年県の有形文化財に指定され、また淨貞寺山門は、昭和39年市の有形文化財に指定されている。
33.508472
133.89507
365
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八角形漆塗神輿
鎌倉時代・弘長3年(1263年)に建立。現在、国の重要文化財に指定されている神輿26基のうち、唯一の八角形神輿。秋大祭では社殿で一般に公開される。また神輿が渡御する神幸祭が行われるが現在はレプリカ。
33.550613
133.421
366
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大川上美良布神社の本殿・幣殿・拝殿
県の指定文化財。3棟とも慶応元年(1865年)に着工、明治2年(1869年)に完成。各所に見事な彫刻が施されており、“土佐の日光”の別称がある。
33.649963
133.78397
367
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四万十の文化的景観1
河川沿いに縄文時代からの集落の点在を示す痕跡が残る津野町は、平野部が少なく、傾斜地に住宅や耕作地が配置されている。集落全体に棚田が現存する地域もあり貴重な遺産となっている。また、江戸期から大正期に建築された、民家や社寺、江戸期農村歌舞伎の廻り舞台も残り、京より伝えられたとされる津野山古式神楽をはじめとする数々の伝統芸能も地域の歴史とともに育まれ、今日まで継承されている。
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368
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武市半平太旧宅及び墓
幕末に活躍した武市半平太(土佐勤王党党首。1829~1865)の旧宅。もとは藁葺屋根であったが、現在は銅板で、間数6室、客室は8畳で柱に半平太が字を刻んだ痕がある。墓は、旧宅前を南に進んだ瑞山神社上の丘陵にある。
国指定史跡文化財
33.53759
133.60378
369
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小村神社
村文化財指定。土佐の二宮と称し、日下の総鎮守。祭神は国常立尊。社殿裏には牡丹杉または燈明杉と呼ばれる樹齢一千年と言われる御神木がある。伝説によると地震等なにか異変のある時には、杉に梢に大きな霊火が懸かったと言われている。
33.54326
133.39293
370
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有井庄司の墓
県指定の史跡。元弘の乱(1331年)で土佐に流された尊良親王(後醍醐天皇の第一皇子)をかくまった鎌倉時代の勤王家有井庄司の墓。鎌倉幕府後滅亡後、帰京した親王から死亡した有井氏を悼み五輪塔が送られている。
33.040848
133.07149
371
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佐竹音次郎生家・碑
身寄りのない子どもたちの救済に奔走し、児童福祉に生涯を捧げた福祉事業家・佐竹音次郎の生家。敷地内には音次郎の死後、その功績を称える碑が建立されている。※現在も使用されている個人宅につき、訪問する際は事前に問い合わせ先へ要連絡。
32.971268
132.97186
372
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左行秀邸跡
文化10年(1813年)、筑前に生まれる。弘化3年(1846年)秋、土佐藩御用鍛冶・関田勝廣の斡旋により土佐藩へ来た。山内家に抱えられ三人扶持を給せられ、刀鍛冶・鉄砲鍛冶の両職を務めた。鍛冶場が才谷屋の北西にあり、龍馬の兄や近藤長次郎とも親交があった。吉田東洋が暗殺された時に持っていた刀は行秀の作。のちに江戸深川砂村藩邸詰となり、そこで刀剣を鍛えた。現在邸跡を示すものはない。
33.55802
133.52496
373
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神峯神社本殿
神峯寺からさらに北へ登った塩屋が森(632m)の山上にある。
旧県社で、神功皇后が三韓征伐の戦勝を祈って天照大神他諸神を奉斎したのが始まりと伝えられる。
本殿は嘉永6年(1853年)の再建で、県指定の文化財。
33.468826
133.9752
374
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金銅荘環頭大刀拵 大刀身
国宝。今から1400年程前の古墳時代末期、この地を支配していた者が佩力を鎮守小村神社の御魂代として奉祀したもので、日本最古唯一の宝剣。
33.543243
133.39299
375
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木造多聞天立像
国指定の彫刻 クスノキ材一木造、彫眼、像高93.5cm。
33.546623
133.57733
376
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久礼八幡宮の銅戈
県指定の文化財。久礼八幡宮の社宝の中細銅戈。
33.329327
133.22694
377
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川村与惣太の歌碑
金剛頂寺の別当職を辞した後、土佐一国を巡り地名、故事を詠んだ「土佐一覧記」を著した川村与惣太の歌碑。
33.289425
134.15175
378
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長谷江児詩碑
明治40年土佐に生まれた詩人、長谷江児の詩碑。大阪から帰郷した後、地元の青年団活動のかたわら詩作に励んだ。昭和34年12月13日建立。
33.275146
133.24297
379
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金色山清涼院 蓮光寺
1207(承元元)年、法然上人の弟子の開創と伝わる、浄土宗の寺院。明治の廃仏毀釈で廃寺となったが、1898(明治31)年に奈良県生駒郡山の清涼院を移し復興された。鎌倉時代の作と伝わる県指定の文化財「木造阿弥陀三尊立像」、「木造阿弥陀如来及両脇侍立像」を所蔵。静かで清々しい境内から山門を抜けると、小高い丘の上から清水港を望める。
32.780136
132.95682
380
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長谷寺の梵鐘
「長谷寺禅寺」・・・槇牧山平等院長谷寺(しんぼくざんびょうどういんちょうこくじ)と言い、臨済宗妙心寺派の末寺で、本尊は十一面観音。
伝説によれば、神亀4(727)年、行基によって開かれ、はじめ物部村中津尾(現香美市物部町)にあり、のち芸西村に移り、さらに現在地に移転してきたものといわれ、もとは吸江寺に属した。
明治4(1871)年廃寺となったが、同12年大修理を加え、同16年3月再興した。現本堂は、貞享2(1685)年住持如珊の再建である。
33.595913
133.8248
381
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ペル猫注意の道路標識
いの町と日高村の境界付近にある道路標識。
猫をデザインした動物注意の道路標識は全国的にも非常に珍しい。
【近くの観光スポット】
いの町紙の博物館、椙本神社、吉井源太翁生家、波川公園など
133.40376
33.54326
382
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溝渕広之丞の墓
実名は義直。嘉永6年(1853年)の春、龍馬が初めて江戸へ剣術修行に行ったとき同行し、千葉道場で寝食を共にした。後に長崎に派遣され砲術を学ぶ。龍馬の良き理解者として長崎での龍馬の活動を支えた。広之丞が眠る墓は、高知市東秦泉寺の天場山と呼ばれる小高い山中の墓地にある。
33.581657
133.54169
383
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尼ヶ森城跡と釣鐘森城跡
夜須八幡宮から2kmほど北の夜須川東岸の標高75mの独立峰が尼ヶ森城跡。西岸のむかいあう丘陵に釣鐘森城跡がある。ともに戦国時代、安芸氏に対する最前線として、長宗我部氏の家臣吉田一族が在城したと伝えられる。
33.555214
133.78058
384
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木造菩薩面
村文化財指定。平安時代作。
33.543243
133.39299
385
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鹿島大明神扁額
鹿島神社は、土佐清水市旭町にある。祭神は、武甕槌尊で、境内に末社の香取宮がある。
大正5年には、旧町内にあった天満宮と本清水神社を合祭している。
かつては港内の瓢箪形の小島が境内となっていたが、昭和40年に鹿島公園の造成で旭町と陸続きになり、現在に至っている。
鹿島神社では、春と秋に神祭を行っており、鹿島神社では、春と秋に神祭を行っており、鹿島神社々叢、鹿島大明神扁額、鹿島の砲台跡は、
土佐清水市の推進文化財として、指定されている。
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地吉の大念仏
高知県指定の無形民俗文化財 旧8月5日吉祥地跡で行われ、前半は念仏唱和、後半は芸能的所作。古城の大念仏と同系列。
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白山神社
弘仁13年に弘法大師が足摺岬金剛福寺を開創の際、加賀国白山より勧請し、金剛福寺鎮護の社として創立しました。白山権現と称せられ、土地の産土神として信仰が厚く、土佐藩主山内氏も代々尊崇の誠をいたし、道路改修にも国役として工事を行ったといわれます。
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龍馬脱藩「ゆかりの道」
文久2年(1862年)3月24日、高知を出奔した龍馬は現在の国道33号線を西へ進み、日高村の県道291号線をたどり、佐川へ抜け脱藩したと伝わる。
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窪津浦鯨文書
市指定の文化財。窪津浦鯨文書は「鯨株願書取遺控」及び「秘書1」「秘書2」の三冊よりなり、もと窪津浦庄屋「亀谷家」に伝えられ保管されていたもので、「亀谷文書」ともいわれている。
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吉井源太翁生家
製紙技術改良家で、その指導により、いの町を全国的な和紙の生産地に押し上げた吉井源太翁の生家。
33.551613
133.42471
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仏海庵
安芸郡東洋町境淀々磯の難所を通る遍路の接待と救済を目的として江戸期に仏海上人によって建立された庵である。
33.423355
134.22221
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竹林寺本堂
国指定の建造物 文殊五尊を安置してあるため文殊堂ともいう。桁行、梁間とも5間の正方形、屋根は入母屋造りで柿葺。
33.54667
133.5774
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後奈良院和歌短冊
村文化財指定。室町時代作。
33.54317
133.39294
394
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北寺の仏像
明治44年に国の重要文化財に指定された9躯の仏像は、平安時代に造像されたもので、いずれも1メートルに満たない小像で、カヤやヒノキの一木造りで、それぞれ異なる様式で表現された佳品である。
33.488728
134.00523
395
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高浜年尾句碑
父虚子の跡を継ぎ文芸誌「ホトトギス」を主宰した年尾が、句友に招かれて足摺恒例の椿祭りに参じた時(昭和50年)の句。「足摺にはじまる土佐の春かとも」 昭和51年土佐清水市建立。
32.725334
133.02095
396
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鹿持雅澄翁歌碑
土佐が生んだ幕末の国学者としてまた歌人として有名な鹿持雅澄翁の歌碑。昭和32年1月建立。
「古や汝も恋しき浜千鳥 久礼の浦廻をちかえり鳴く」
33.32931
133.22693
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木造海峯性公尼坐像
国指定の彫刻。大平寺を開創した海峯性公尼の坐像。
32.985764
132.93916
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間崎滄浪の墓
四万十市江ノ村の長法寺には間崎滄浪(哲馬)の墓がある、墓は境内の西端部に大きく「贈従四位 間崎哲馬則弘墓」と刻記され、脇に建設のための寄付者の名前を記した石を従えてある。これは高知市に所在する墓から、昭和41年12月に分骨して建てた。間崎滄浪が、ここ江ノ村に住む郷土で町医師をしていた房之助を父としたことにちなんだもの。墓には辞世の句が刻まれている。
32.966152
132.86221
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石斧
市指定の文化財。この石斧は昭和32年12月旧布中学校前の布川河原に露出していたもので、弥生式時代(約2000年前)のものである。土佐清水市で採取された古代石器第1号。
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400
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杉原神社
横倉山修験の中ノ宮として創建され、社は金峯山[きんぷせん]三所蔵王権現と称されていたが、明治4年(1871)杉原神社と改称された。本殿は明治8年(1875年)改築、本殿周囲の彫刻は門井宗吉作。
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401
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伊都多神社
幕末には商人たちが経済力を生かして力を持ちつつある反面、郷浦(農村と漁村)の庄屋たちは頻繁に転勤を命じられ、困窮していた。天保8年(1837年)、伊都多神社の祭礼の際、本来末席に座るべき町の庄屋が、郷浦の庄屋の上に座ろうとしたことを発端に、郷浦の庄屋たちが古式復帰を求めて庄屋同盟を結んだ。同盟文には尊王思想が盛り込まれ、次の世代の庄屋層の多くが、同じ尊王思想を持つ土佐勤王党へ入って活躍した。
33.534897
133.66061
402
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鑑雄神社
飢饉を救うため、藩に独断で御蔵米を分け与えたことにより、その責を負い自刃した役人、岡村十兵衛を祀る。
33.36613
134.05753
403
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日蓮宗要法寺
長禄2年(1458)尾張国苅安賀村(愛知県)に創立。
天正13年(1585)山内一豊公が近江国長浜城主となった時、菩提寺となる。
天正18年(1590)遠江国掛川城下へ一豊公転封に従う。
慶長6年(1601)土佐国浦戸城下へ、同8年要法寺町に移り寺地を構える。
貞享4年(1687)大火に見舞われ現在の地に移転。
33.55323
133.53711
404
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仁淀川町観光センター歴史民俗資料室
仁淀川町内に伝わる林業作業用具、農耕、農産加工品、たばこ用具、生活用具、漁具、猟具、古文書類など623品目2140点展示
33.54253
133.11432
405
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長宗我部元親墓
高知県指定の史跡 元親(1538~1599)は岡豊城に生れ、天正13年四国を統一。慶長4年(1599)京都で病死。当時は浦戸城が居城
33.497177
133.553
406
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小村神社の銅矛
33.54317
133.39294
407
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立志社跡
民権思想の普及に努めた立志社。明治7年、板垣退助らが海南義社を吸収して結成した自由民権運動の中心的政治結社である。「人民は国の本」を主張し、民権思想の普及に努め、士族救済のための商社活動・法律研究・討論会なども行った。立志社の設立後、これを中心として各地域に結社が設立された。
33.5602
133.54094
408
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明治初期小学校授業風系図絵馬
明治初期における小学校の授業風景を、高岡の走寄に住んでいた絵師の久保南窓(柳太郎1848~1917)が揮毫し、明治11年高岡東小学生徒惣中から、松尾八幡宮へ奉納したものである。
教場の内部が緻密に描かれており、学制発布直後の様子を知るうえで、学術的にも貴重である。
33.51042
133.42519
409
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佐佐木高行生誕地
天保元年(1830年)、現高知市の瀬戸に生まれた。上士の御扈従組百石だったが、高行が生まれる直前に父が病死したため、家督相続者未定で、家禄を30石削減されて70石だった。生活が苦しい中、国学、剣術、兵学などを修め、13歳の時から藩庁に出た。勉学に励み、36歳の時には大目付に抜擢された。長崎土佐商会の責任者にもなり、龍馬らと親交が深かった。
33.518223
133.54623
410
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成願寺観音堂の仏像
北川村の北部、奈半利川に沿う島部落の星神社境内にある大小10数体の古木像。高さ130cm、一木彫成像の本尊の木造十一面観音立像が県の文化財に指定されている。
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411
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不動ガ岩屋洞穴遺跡
国の史跡。高知県における仁淀川水系最古の遺跡。1964・1967年の発掘調査により、細隆線文土器や有舌尖頭器などが発見され、1万2000年前の縄文時代の早い時期に、自然の石灰岩洞穴を住いとした人々がいたものと確認された。
33.484043
133.26314
412
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高松順蔵邸跡
安田八幡宮の鳥居前を左折し高松医院前の小さな路地を西進すると、道は民家に突き当たって曲がる。この付近の右手一帯が高松順蔵の邸跡という。邸は道より一段高い所にあったというが、今は別の家が建っており、邸跡を語るものは何もない。高松家は郷士の家で、順蔵の祖父の代からは、藩主の休憩所に宛てられていた。龍馬も頻繁に訪れていたようで、勝手に上がって縁側から海を眺めていたという逸話もある。
33.438026
133.98077
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星神社の仏像
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414
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浦戸砲台場跡
龍馬像が立つ高台のふもとに、砲台場であったことを示す石垣などの遺構が残っている。嘉永元年(1848年)2月、沿岸防備のため龍馬の父八平は、浦戸湾岸の長浜守備の「駆付」を命じられている。
33.49857
133.57483
415
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木造文殊菩薩及び侍者像
国指定の彫刻 本尊文殊菩薩は秘仏のため拝観できない。善財童子82.5cm、最勝老人87.3cm、優天王85.1cm、須菩提尊者83.5cm。
33.546623
133.57735
416
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板絵 三十六歌仙
村文化財指定。室町時代作。
33.543243
133.39299
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野勢達太郎生誕地碑
幼少時から英才の聞こえが高く、12歳のとき田野学館に入る。15歳で高知へ出て藩校教授館に入り、さらに武市半平太の道場に入門した。江戸へ遊学し、佐藤一斎・安積艮斎に学んだ。文久3年(1863年)入京し、名和宗助と変名した。また北添佶磨らと蝦夷地などを視察。禁門の変では長州藩の忠勇隊に属して戦うが敗北、真木和泉ら16人の同士と共に自刃した。享年23。
33.427456
134.01749
418
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佐川文庫庫舎
明治初年の鹿鳴館時代の雰囲気を現在に伝える県下最古の木造洋館。
明治19年(1886)須崎警察署、佐川分署として上町西方の山側に建築。
昭和5年西町に現状のまま移設され、川田文庫・青山文庫として活用された。
昭和53年、佐川町総合文化センター敷地内に民具館として移築された。
平成22年、当初の場所に移築。
33.4988
133.28804
419
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大乗院の仏像
大乗院薬師堂に安置されている3躯からなるこの像は鎌倉時代快慶作と伝えられる。
薬師如来の躰部は充実した肉取りで腹部を広くあけている。
両脇侍(日光・月光菩薩)も肉感的なふくらみを持たせ左右対称に右目輪、左月輪をつけた蓮華茎を手に持つ。
33.51393
133.27194
420
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松尾城跡
佐川駅の東北の200mたらずの山にある城跡。南北朝の頃佐川四郎左衛門が居城し、のち佐川越中守・中村越前守・片岡出雲そして久武氏らが居城したと伝えられる中世山城。松尾八幡宮の裏手に登城口がある。
33.502254
133.29593
421
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仁治元年の棟札
村指定の文化財。仁治元年の平安時代のもの。棟札とは建造又は造り替えの時のいきさつを記録に残すため木の板に書いたもの。
33.543243
133.39299
422
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貞享元年銘法華経塔【高知市】
高知県指定の史跡。1684年(貞享元年)、柏島法蓮寺の僧日教が建立。宿毛市及び東洋町甲浦にも同形同大の経塔が現存。
33.54591
133.57352
423
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魚梁瀬ダム
北川村の北部、奈半利川の本流筋にある発電用ダム。
西日本屈指の規模を誇るロックヒルダムで、堰堤[えんてい]は高さ115m、長さ202m、有効貯水量7,250万立方メートル。
33.594685
134.10954
424
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岡本弥太の詩碑
香我美町出身の詩人岡本弥太の詩碑。詩碑には「白牡丹図」が刻まれている。
33.538925
133.74405
425
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木造馬頭観音立像
国指定の彫刻 寄木造、玉眼、彩色剥落、像高95cm。(鎌倉末期)
33.546623
133.57733
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脱藩志士集合之地碑
国道33号線に佐川から越知へ通じる赤土トンネルがある。その入口から山道を登ればすぐの所に「脱藩志士集合之地」の碑がある。文字は、佐川領主13代深尾隆太郎の筆。元治元年(1864年)8月14日、死を賭してここに集まった同志は、浜田辰弥(田中光顕)、井原広輔、池大六(山中安敬)、那須盛馬(片岡利和)、橋本鉄猪(大橋慎三)の5人だった。「真心のあかつち坂にまちあわせいきてかへらぬ誓なしてき 田中光顕」
33.516476
133.26315
427
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池内蔵太・望月亀弥太邸跡
池内蔵太は土佐勤王運動に加わり、その後亀山社中に加入。龍馬は内蔵太の武勇ぶりを愛し、ワイルウェフ号沈没により若くして遭難死した際にはその死を惜しんだ。また、池家のすぐ側には望月家がある。望月亀弥太も土佐勤王運動に参加後、龍馬の勧めで勝海舟に入門したが、池田屋の変で討死。どちらも邸宅跡を特定するものはないが、武士の住む屋敷町であった西町には、今も築地塀や土用竹の生垣が所々に残る。
33.558598
133.52083
428
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梵鐘【妙国寺】
高知県指定の工芸 総高100.0cm。
33.548866
133.53876
429
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高岡山古墳群出土遺物(宿毛歴史館蔵)
高知県指定の考古学遺跡 (1号墳関係)筒形銅器1、同舌1、鉄刀1、勾玉1・管玉13。(2号墳関係)内行花文明光鏡(昭明鏡)1、石釧1、勾玉5、管玉14、小玉36。
32.938763
132.73045
430
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木造菩薩面二面
国の重要文化財で藤原時代作。クス材一木より彫成。
33.54317
133.39294
431
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木造阿弥陀如来坐像【高蓮寺】
ヒノキ材の一木造、像高37.5cm。(藤原時代後期)
33.547012
133.48914
432
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思案橋番所跡
高知城下への西の入り口であり、伊予街道へ通じる道でもあるため、江戸時代には番所や制札場、国産改方の紙類改役所が置かれた。城下西の上町に含まれる本町・通町・水道町の道筋は、すべて思案橋番所に集約されていた。したがって、西から上町へ入る際、どの道を行こうかと思案した場所、という意味からこの名前が付けられた。吉田東洋を暗殺した那須信吾らが、ここで勤王党の仲間に東洋の首を渡して脱藩したと伝わっている。
33.556625
133.5167
433
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熊野神社
鎌倉時代の初め、平家方の落人で紀州熊野権現の別当、田那部旦僧の子永旦が熊野より勧請したのが起こりと伝えられる。別当の長楽寺に安置されてあった、木造如来形立像と木造地蔵菩薩立像が伝存していて、県の指定文化財になっている。
33.19185
132.97151
434
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島村衛吉の碑
島村衛吉は天保5年(1834年)、香美郡下島村郷士・島村潮成の次男として生まれた。文久元年(1861年)、土佐勤王党の結成に加わり幹部として活躍したが、吉田東洋暗殺の疑いで武市半平太とともに投獄。度重なる拷問にも口に緘して語ることなく、元治2年(1865年)に獄中に命を落とした。
33.53449
133.6727
435
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中江兆民誕生の地の碑
民権思想家として活躍した中江兆民の生誕地に建つ碑。
33.56328
133.54662
436
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昭和天皇の歌碑(山田邸の庭園)
昭和25年、昭和天皇陛下が山田家にお泊まりの際、詠まれた歌の碑。
33.26049
134.16849
437
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木造大日如来坐像
国指定の彫刻 寄木造、玉眼、漆箔、像高64.0cm。
33.546608
133.5773
438
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八坂神社
八坂神社は1392年(元中9・明徳3)11月7日落人武士と思われる井上治部によって勧請されたと伝えられている。ヒノキ、コウヤマキ等の群生が見事。
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銅矛
高知県指定の考古学資料で全長75.8cm。
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琴平神社
32番札所、禅師峰寺[ぜんじぶじ]の東約2.5km、県道から少し北へ入った高台にある、海上守護・豊漁の神として崇敬される神社。
祭神は大物主大神。天智天皇の時代(668~71)の創建と伝えている。
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新宮馬之助生誕地
幼い頃から絵の才能に恵まれ画家を志し河田小龍に入門したが、国内の政情の乱れと小龍の語る海外の流れに発憤。家業の陶磁器焼き継ぎの修行を名目に土佐を出たのち、勝海舟の塾に入門。その後、龍馬に従い亀山社中、海援隊に参加した。色白の美男ですぐに上気することから「赤づら馬之助」と呼ばれた。維新後は北海道開拓に従事するが挫折。のちに海軍大尉に任じられている。
33.56662
133.71335
442
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刀・銘國益
県指定の工芸品。長さ65,4cm 反り3.0cm 目釘穴1個
33.519157
133.91318
443
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間崎滄浪邸跡
家は代々幡多郡間崎村(現四万十市)の庄屋、滄浪の父房之助は高知に出て医療を開業した。幼少時から頭がよく、細川潤次郎・岩崎馬之助らとともに三奇童とよばれた。16歳で江戸に遊学し、19歳の時に高知城北江ノ口村に塾を開く。門下生に中岡慎太郎・吉村虎太郎らがいる。
33.565536
133.53935
444
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雪蹊寺の仏像
33.500813
133.54306
445
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馬路村郷土館
馬路村の民族文化財、約2900点が展示されている。特に県下で唯一の「水盤」、県内外で江戸時代末期の資料として価値の高い「馬路村風土取縮差出控」文化年間(1804~1817)に造られた「椀」、等、貴重な文化遺産が見られる。
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一条教房墓
高知県指定の史跡。応仁の乱を逃れ、家領のあった幡多庄に下向し、土佐一条氏の始祖となった。為松公園北側の登山道沿いにある五輪塔。
32.998337
132.92995
447
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平家穴
横倉宮の後ろにある馬鹿試しの断崖の付け根にある平家穴。
源氏の追っ手が襲来した際、安徳天皇の避難場所にされたと言われる洞穴である。
道中下りの傾斜がきつく、周囲の風景に溶け込んだ場所にあることに加え、敵の目を欺くためか正面からは穴があることがわからず、横から覗き込まないと見えないようになっており、身を潜めるには最適だったことだろう。
明治初年頃まで、刀剣や槍、銅鏡などが残っていたと言われており、その中にあった宝剣が三種の神器のひとつ、天叢雲剣ではないかとも囁かれている。
また、平家穴の約50メートル上の洞窟には岩屋神社があり、1221(保安三)年の銘の入った経筒が見つかっている。
33.535877
133.20784
448
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バーガ森北斜面遺跡
弥生時代中世末の動乱期における防衛的家族共同体の高地性集落遺跡。住居跡をはじめ、多くの遺物も発見された。
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木造地蔵菩薩立像
高知県指定の彫刻 スギ材、一木造、像高63cm。
33.19179
132.97151
450
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平家の茶屋
コシのある田舎そばを食べられる。国産のそば粉100%で毎日手打ちするので香りは抜群。大きなエビ天や山菜の天ぷらの入った天ぷらそば、週替わりの定食などがある。
33.640324
133.74544
451
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三里沈下橋
左岸下流側に広い河原があり、沈下橋から降りてゆっくりと見ることができる。訪れる人は少ないものの、夕日に映える風景は絶景。全長約146m、普通車の通行可能。
33.01122
132.8729
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懸仏の弥陀三尊と銅製狛犬
阿弥陀如来像 像高5.5cm、勢至菩薩座像 像高3.6cm、観音菩薩座像 像高3.5cm、懸仏用銅製狛犬 像高3.6cm、室町時代の作。
現在、高知県立歴史民俗資料館で委託保管をしている。
33.568897
133.36606
453
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朝鮮国女の墓
上川口駅で下車し、左手に折れて鉄道の下をくぐった所にある朝鮮の女性の墓。1597年慶長の役で捕虜として捉えられ、この地で機織りの技術を広めたと言われる。この女性を捕虜にした武将の子孫が碑を立て、以来土地の人々がこれを守っている。
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鶴田塾(少林塾)跡
山内容堂に登用された土佐藩の参政吉田東洋は、暴行事件で謹慎処分を受けた。謹慎中、この地で鶴田塾を開き後藤象二郎、板垣退助、岩崎弥太郎、福岡孝弟、間崎滄浪ら数多くの人材を育てた。参政復帰後、彼らの多くを藩の重要な役職に取り立てた。
33.50159
133.54692
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大渡ダム周辺
大渡ダムは、仁淀川をより安全で有効に利用するための、洪水調節、かんがい・水道用水等の補給や発電設備を有した多目的ダムです。ダム湖周辺は県下一の茶所で、適度な霧が出ることから茶霧湖(さぎりこ)と命名されました。大渡ダム公園をはじめ多くの憩いの場が点在し、春には湖畔に桜が咲きます。国道33号から右岸に渡ると湖畔に約3,000本のソメイヨシノが、また近くの「ひょうたん桜」や「しだれ桜」なども有名です。
33.545795
133.11655
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二十三士殉節地
昭和5年天皇御大典記念として、町青年団が建てたもので、碑面には、田野町出身の故浜口雄幸元内閣総理大臣の書が刻まれている。
33.430305
134.01707
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古城の大念仏
高知県指定の無形民俗文化財 旧8月6日古城部落奥組に伝わる施餓鬼行事。念仏唱和のみならず芸能的部分を多く含む。
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木造如来形坐像【金林寺】
高知県指定の彫刻 本尊薬師如来坐像92cm 国指定文化財 不動明王立像・毘沙門天王立像
33.55078
134.04678
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椎名八王子宮
秋の大祭りでは県指定の太刀踊りと御神幸の際の豪快な神輿洗いが見られる。
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四万十の文化的景観4
梼原川下流域にあたる大正奥四万十区域は、急峻な地形から林業に生業を求めてきた地域で、明治期から昭和期にかけて活発に林業活動が行われた。四万十川中流区域は、豊富な水量をもとに、河川沿いの集落が四万十川の流通・往来を支える重要な役割を担った。高南台地区域は、仁井田米に代表される県内有数の穀倉地帯で、四万十川本流の水資源を利用するために築かれた堰や水路が今も使われている。
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浜口雄幸旧邸
雄幸は旧制第三高等学校在学中、高知市五台山唐谷の水口家から浜口家に養子に来られた。その後、東京帝国大学を卒業し政界に進み、土佐出身の最初の内閣総理大臣となった。邸前には「なすことのいまだ終らず春を待つ」の雄幸直筆の碑が建っている。
33.43412
134.01813
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雪蹊寺霊宝殿
薬師如来像(重文)ほか重要文化財を含む18体の仏像を安置
33.50079
133.54312
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池川神社
建久5年(西暦1194年)神母谷川添の榎の大木に御幣がかかりこれを相模国鎌倉の神の御隆臨とし、大渡三社権見として祭ったのが起源 現在は町内の郷社として崇敬を集めている。
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佐竹音次郎夢の碑
音次郎が鎌倉保育園を設立した直後、病気療養のため長期帰省した前後に、音次郎の兄によって建立されたと推測される石碑。ただ一文字「夢」とだけ刻まれている。未だ詳細が分かっていない、音次郎にまつわる歴史ミステリーの一つ。
32.969162
132.97153
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お馬神社
お馬神社は、須崎市池ノ内にある二股杉の下に建てられ、縁結びにご利益があるとして親しまれている。
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五社神社【東洋町】
1632(寛永9)年一面の砂浜であった白浜を浪人を集めて開発した明神忠右衛門を祀る神社。
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小村神社の蓬莱鏡
方鏡 縦15.7cm、横10.2cm。「康安二年八月一七日 藤原重則 敬白」の銘あり。円鏡 径19cm。
33.54317
133.39294
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木造薬師如来立像
国指定の彫刻 99.5cm像。ヒノキ材一木造、彫眼、彩色像。(藤原後期)
33.598663
133.64044
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四万十町郷土資料館
豊富な遺産や遺跡出土品や古文書の資料、四万十の漁具や川船等を展示。
33.18347
132.97287
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梵鐘【国分寺】
国指定の工芸 平安初期の製作といわれ、総高80.0cm、竜頭の長軸線と撞座との関係が直角、鐘身に比して撞座も高く古様
33.598663
133.64044
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二十三士公園
春には満開の桜で、お花見ができます。駐車スペースや遊具もあり、トイレや温泉施設も近くにある事から、キャンプには最適の場所になっています。
33.430336
134.01707
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安徳天皇御陵
安徳天皇擁する平家一門が源氏の追っ手から逃れて、ここで暮らしたと伝わる仁淀川町別枝都地区。
安徳天皇のお守り役も務めた京都山城の国金子城主・平重詮(しげのり)は、源氏の追っ手から逃れるため中山重則(しげのり)、山内神助と名前を変えて暮らし、その後、西森姓に改姓した子孫が現在も系譜を紡ぐ。
安徳天皇は、1195年(建久6年)8月22日に18歳の若さで逝去されたと言い伝えられており、1933年(昭和8年)に安徳天皇御陵伝説地の指定を受けた御陵墓が都地区にある。御陵墓は“皇陵塚”と称され、毎年旧暦8月22日には住民によって都の太鼓踊りが行われている。
また、安徳天皇の乳母とされる女性も屋敷跡地から、この地に改葬...
33.51348
133.05283
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桐見ダム(桐見湖)
仁淀川支流坂折川に築造された治水ダム。坂折川流域は霧が多く良質の茶の産地としても知られている。県立自然公園横倉山の麓にあり、横倉山の眺望が楽しめる展望広場、湖水に突き出した大桐広場等ダム湖の周囲は公園として整備されている。
33.523396
133.21391
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吉井勇歌碑(宿毛市)
「沖の島なつかしければ荒海をものかわとこす旅人われは」 歌人・吉井勇が沖の島を訪れた際、詠んだ歌が記されている。昭和8年10月9日に来島、旅館に宿泊し、翌10日に離島。昭和57年3月建立。
32.739014
132.54822
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妙山寺の聖観音立像
鎌倉時代のものであるといわれる。檜寄木造りで目は彫眼。高さ105cm。妙山寺の本道ではなく、別に建てられた宝仏殿に安置されている。大正7年、国の重要文化財に指定された。
33.501003
133.9073
476
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金林寺薬師堂【金林寺】
国指定の建造物 密教様の形式で、桁行3間、梁間4間、寄棟造り銅板葺き
33.55078
134.04678
477
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那須俊平・信吾邸跡
那須俊平は槍の名手で、自宅に道場を設けて子弟の指導に当たった。信吾は佐川深尾家の家臣浜田宅左衛門の次男として生まれ、安政2年(1855年)に俊平の養子となる。信吾は高知城下、日根野弁治道場での剣術修行で龍馬と交わり、後に土佐勤王党に参加。龍馬は脱藩のとき、那須邸に立ち寄り俊平、信吾親子が韮ヶ峠へ案内した。この後、信吾は高知城下に行き、大石団蔵らと吉田東洋を暗殺した。
33.390305
132.93535
478
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窪川土居城跡(古渓山城)
四万十川左岸の小山丘古渓山にある城跡。江戸時代初め窪川5000石の領主山内一吉が築いたが元和の一国一城令で取り壊された。現況は山林となっている。
33.210365
133.12846
479
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島村衛吉の碑と墓
「贈従四位 島村衛吉先生之碑」は南国市下島浜にある。高知龍馬空港東側の道を南下、浜道を右折するとまず顕彰碑が見えてくる。この碑は三島村下島部落青年団が建立したもので、元は三島神社にあったという。昭和43年に墓があるこの地に移された。そして、その後方に島村家一族20数基の墓があり、墓所の東端に衛吉の墓がひっそりと建っている。
33.53449
133.6727
480
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山川阿弥陀堂の地蔵板碑
高知県指定考古資料 高さ182cm、上幅38cm、下幅43.7cm、厚さ5.5cm。室町時代初めのものと考えられる。
0.0
0.0
481
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朝倉古墳
昭和25年に高知県指定された史跡。3大古墳(明見・朝倉・子蓮)の1つ。後期古墳で、石室の石組みが露出し石舞台古墳ともいえる。
33.553207
133.47786
482
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本山城跡
戦土佐七守護の一人・本山氏の居城跡。本山氏は一時高知平野に進出、土佐、吾川両郡を制するが、長宗我部氏に滅ぼされた。
城跡は上街[うえまち]公園の南の山上にあり現在は城山公園となっている。
33.7555
133.58788
483
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谷干城邸跡と墓
西南戦争の時の熊本鎮台司令長官で、西郷軍から熊本城を死守し名を上げた谷干城。後に農商務大臣に就任し、土佐派の重鎮として重要な地位を占めた。その邸宅跡は現在は土蔵を一つ残すのみ。墓は谷家の家風で自然石でできている。
33.574432
133.52457
484
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今村鏡月の墓
土佐清水市指定の文化財。鏡月は江戸時代の土佐の万葉調歌人。碑石の表面には「鏡月大人墓」、裏面には銘文が刻まれている。
32.755013
132.96703
485
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大日寺の仏像
国の重要文化財。四国霊場28番札所・大日寺の本尊の大日如来像と寺宝の聖観音立像はともに国の重要文化財。大日如来像は、高さ147cmの寄木造で平安時代の作。聖観音像は、高さ171.5cmで平安時代の地方作。
33.5776
133.7054
486
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爪彫り薬師
天平年中(729~49)聖武天皇の勅願により、行基が開山し、後に空海が四国霊場28番札所定めた大日寺に伝わる仏像。空海が彫ったと伝えられ、耳・眼・口・鼻の病に霊験があると言われている。
33.577576
133.70541
487
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木造勢至菩薩立像
国指定の彫刻 ヒノキ材、寄木造、彫眼、漆箔像。像高106.8cm。(鎌倉時代)
33.54668
133.57733
488
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賀茂神社石造層塔
賀茂神社境内にある多重塔は、塔の階数は現在12で、高さは4m30cm、本来は13であったと考えられる。
梵字(ぼんじ)の彫りや屋根の反りの特徴から鎌倉後期の製作であり、県下最古のもので、唯一の石造物である。
33.411713
133.27736
489
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谷干城生誕地(四万十町)
四万十町恵美須神社の横にある自然石の碑。昭和9年(1834年)谷将軍銅像建設会が建立した。谷家は代々神道家・国学者の家で、その先祖には南学中興の祖の谷秦山がいる。干城はこの地に生まれ、一時高知城下の小高坂に居をかまえたが、再び窪川に移った。しかし弘化3年(1846年)には父と共にまた小高坂に帰る。現在、高知市西久万に谷干城邸跡としてあるのは明治2年(1869年)12月に移転したもの。
33.210083
133.13182
490
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葛原神社の御正体類
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0.0
491
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高野の廻り舞台
昭和52年(1977年)国指定重要有形民俗文化財となる。4年に1回行われる高野農村歌舞伎の舞台で、明治6年(1873年)に建築され、舞台裏でハンドル操作により舞台を回転させる「鍋蓋上廻し式皿廻し式舞台」である。
0.0
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492
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住吉神社
旧暦6月29日に行われる祭りでは、「オンバライ舟」という神事がある。
0.0
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493
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鹿島神社の鰐口
佐賀を根拠地として捕鯨に従事した尾張出身の尾池四郎右衛門正次が1652年(承応元年)に献納したもの。鹿島神社の社宝となっている。鹿島神社は常陸の鹿島神社を勧請したものと伝えられている。
0.0
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494
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木造十一面観音立像【香仏寺】
市指定の文化財。三崎香仏寺の十一面観音像は、寺の秘仏として伝えられて来たもので、室町時代末期の作と思われ、胴体は一木彫で、小面は一段配列ですべて植付けである。
32.79345
132.87144
495
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木造阿弥陀如来立像【竹林寺】
国指定の彫刻 寄木造、彫眼、彩色、像高98cm。来迎阿弥陀像としては県内唯一のもの。(藤原時代)
33.54666
133.5773
496
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浜田の泊り屋
国指定重要有形民俗文化財。桁行二間、梁間二間、木造高床式平家建で屋根は入母屋造り棧瓦ぶきである。柱は栗の自然木を使い風格のある建物で幕末頃の建築である。泊まり屋は江戸時代から明治、大正にかけての若者の風習を知るうえでの貴重な遺産。
32.971535
132.79465
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高瀬沈下橋
全長約232mと四万十川で3番目に長い沈下橋。川幅も広く、清流がゆっくりと流れるのどかな風景が心を癒す。初夏のホタル観賞、夏場のキャンプなどで賑わう。普通車の通行可能。
33.036217
132.84488
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行在所跡
安徳天皇の行在所(仮の御所)があったとされる場所。安徳天皇が京の都を偲ばれたと言われる“平安の森”の南の山に囲まれた平坦地にあり、数え23歳で亡くなるまで、この場所で暮らしたと伝えられている。
跡地の一角には、世界で日本にしかない固有種のカツラの巨木も見られ、荘厳な雰囲気を今もなお漂わせている。
また、すぐ近くには清浄な湧き水があり、供御水として使われていたという。現在は従臣たちの屋敷のあった“別府の都”近くの下流を「安徳水」として再現。昭和60(1985)年に環境庁の「全国名水百選」に指定された。
33.53645
133.20354
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野口雨情の詩碑
数多くの名作を残し、童謡界の三大詩人と謳われた野口雨情が叶崎を詠んだ、「叶崎で 波の音聞いた 波が碆打つ音聞いた」という詩が刻まれている。
32.748547
132.8019
500
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四万十民俗館
伝統的な漁具、村で活躍していた鍛冶屋の道具、その他にも幅広い分野から集めた品々は、昔の生活を知ることができる。
33.33664
133.13968
501
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竹林寺客殿
高知県指定の建造物 入母屋で書院形式の母屋、切妻造りの玄関及び車寄せからなる。棟間に特徴がある。襖絵は堂本印象作。非公開。
33.546795
133.57738
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貞享元年銘法華経塔【東洋町】
貞享元年(1684)、柏島法蓮寺の僧日教が建立。五台山及び宿毛市押ノ川にも同形同大の経塔が現存する。
0.0
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503
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国分寺本堂の厨子・須弥壇
県指定の建造物
33.598663
133.64044
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松尾坂の国境碑
大深浦の番所跡から旧宮道を登って行くと、標高310mの峠の尾根に土佐と伊予との国境の石碑が立っている。
0.0
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五台山竹林寺宝物館
33.546455
133.57732
506
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大江卓邸跡
長崎で兵学修業中に、龍馬や岩崎弥太郎と接触。後に陸援隊に入り、維新の志士として活躍し、維新後は政治家となった大江卓の屋敷跡。明治5年、豊富な外交知識から県参事に引き抜かれ、神奈川や横浜の街の土台づくりに奔走した。横浜にはその名に因んだ大江橋という橋がある。彼は晩年、全国を行脚し、人民の平等を目指して「部落解放令」の成立に力を注いだ。
32.939896
132.72826
507
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「兼山遺族幽閉の地」の碑
32.93944
132.72803
508
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三上八幡宮の鉄釣灯篭
高知県で唯一の鉄釣灯篭で最古のもの。寛正6年(1465)の年紀あり。
現在、高知県立歴史民俗資料館で委託保管をしている。
33.569057
133.36581
509
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蚕糸資料館
33.529915
133.25534
510
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紀貫之の歌碑
室戸阿南海岸国定公園の西入口に立つ。
古今和歌集の編纂者で土佐日記の著者としても有名な歌碑。
33.3714
134.03877
511
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四万十の文化的景観3
中土佐町大野見に残る堰や水路により山野に切り開かれた豊かな農地は、人々の生活や生業の歴史を今に伝える貴重な文化的景観。藩政期に御留山として管理され、明治に国有林となった深い森林は、明治期から昭和期の木材需要に応えて切り出され、四万十川の水運から久礼港、須崎港への陸送で経済を支えた。四万十川上流域最大の支流、島ノ川川の渓谷とその最上流部に残る景観は貴重。
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512
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角屋与三郎の墓
松尾の金比羅山の山腹には、江戸時代中期に鰹漁の発展に尽くした紀州印南浦の漁民・角屋一族与三郎の墓がある。与三郎の活躍により、土佐の鰹節製造技術は発展。松尾の人々は尊敬の念を持ち、この墓を「旦那さんの墓」と呼び今も見守る。
32.73431
132.98286
513
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仮谷忠男像
鹿島公園から、右手を胸前に掲げて清水港沖の海を見渡しているのは、高知県土佐清水市以布利出身の政治家・刈谷忠男の銅像である。三木内閣の建設大臣に就任した後、本四連絡橋架設、激じん災害対策緊急整備事業の制度化などに尽力したが、その激務に志半ばで倒れた彼を偲び、ゆかりの人達の声掛けによって県内外に寄付を募り完成に至った。
32.777702
132.96046
514
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雁切河原
この辺りは、城下の本町筋五丁目の思案橋から棒堤、朝倉村への往還だった。ここに梟首場ができた時期は不明だが、この河原は円行寺、九反田と共に城下の三刑場とされた。刑場は橋より20メートルほど下流だという。幕末には多くの罪人が梟首となり、岡田以蔵も清岡道之助も、また文久2年(1862年)4月には吉田東洋の首もここに梟首された。
33.553146
133.50607
515
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木造如来形立像
33.19179
132.97151
516
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須留田八幡宮
拝殿は回り舞台になっており、かつて奉納芝居が催されていた。高知城下で芝居が禁止された時でも、ここでは奉納芝居という名目で催していた。
0.0
0.0
517
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能茶山窯跡
県の指定史跡。高知市街の南西部、土佐道路南の海抜30mほどの能茶山台地の頂上にある登り窯跡。1820年(文政3年)、この付近から産出される良質の陶土を利用して能茶山焼は作り始められた。武市瑞山等が絵筆をとった器が残されている。
33.549126
133.50743
518
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不破八幡宮本殿
現在の本殿は永禄元年(1558)頃再建されたもの。国の重要文化財。室町時代の建築様式が色濃く漂っている本殿は三間社流造りで、屋根はこけら葺き。
32.980686
132.9374
519
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龍河洞の弥生遺跡
33.603325
133.745
520
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鰐口【久礼八幡宮】
町指定の文化財。久礼八幡宮の社宝で明徳3年(1392年)の銘がある鰐口。
33.329334
133.22707
521
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河戸堰
河戸堰は、国道56号線の宿毛大橋の上流200mにあり、長さ184m・幅20mの石塁で松田川の水をせき止め両岸に水門を構える。長宗我部時代(戦国~安土桃山時代)に宿毛大関が築かれ、藩政時代に野中兼山の指導を受けた3代領主山内節氏が完成させた。
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522
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室津八幡宮
秋の大祭りで室戸市内で唯一神馬をひきながら御旅する。室津から浮津地区の各所をまわり、神輿の前で奉納する「馬子唄」は、市の無形民俗文化財に指定される。
0.0
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林譲治像
自由民権運動家としても活躍した明治・大正期の政治家・林有造の次男。汚職に満ちた環境にありながらも、節義を曲げなかった譲治を敬愛する人びとによって、郷里の地に銅像が建てられた。戦後、吉田内閣で内閣書記官長に就任し、外交官出身で内政や党務に弱い吉田を、大野伴睦(自由党幹事長)とともに補佐。実父が宿毛市出身の吉田と、同市出身の林の組み合わせから、世間からは「宿毛内閣」と呼ばれた。
32.93904
132.72575
524
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北添佶麿邸跡
JR岡花駅から国道を外れて西へ800mほど進むと右山手の畑地に灌木に囲まれた細い柱状の碑がある。ここが誕生地だ。碑の正面には「贈従四位 北添佶磨先生誕生之地」と刻記されており、昭和44年3月に建立された。邸跡の現況は畑地となり、邸を語るものは何もない。碑の脇に数行の佶磨の経歴と、彼の和歌「おもひきやなき数にだに入らずして又も都の春に遭ふとハ」が彫られた二つの小さな碑があるだけだ。
33.53006
133.3426
525
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白王八幡宮
安徳天皇が、平家一族の武運と再興を祈り建立したと言われるのが白王八幡宮である。“白王”は“皇”の字を割いて2字としたもので、源氏に見つかることを恐れ、秘密にするためだったと伝わっている。
近くにある上名野川地区の安徳天皇ゆかりの地に黒王というのがあり、ここには黒王神社がある。これは白王八幡宮が“皇”であることを、ひいては安徳天皇の所在を覆い隠すため、白王と黒王で対立せしめたのではないかと目されている。
ちなみに、都地区の手前の別枝地区で行われる土佐の三大祭のひとつ「秋葉まつり」は、安徳天皇を守る見張り役5勇士の1人で信仰心に厚い佐藤清巌が関東の目黒不動・遠州秋葉山から火の神秋葉様2体を別枝 ...
0.0
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526
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月山神社
32.762146
132.75096
527
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貞亨元年銘法華経塔
経塔はこの地と高知市五台山と、東洋町甲浦万福寺参道にある。3基の塔婆はともに2.9mの砂岩製で、塔身は4面ともに輪郭をもち、その上に請花[うけばな]をもつ宝珠を乗せた屋根がある。
0.0
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528
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安田八幡宮
安田町役場の西方にある旧郷社で、安田の産土神として古くから信仰されている。開基の年代は不明。戦国時代(16世紀後半)、この地を領した安田三河守の中興と伝えられる。県の文化財「大般若経541帖」がある。
0.0
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529
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木造泉厳覚雲坐像
海峯性公尼の太平寺開創を助けた泉厳覚雲の坐像。寄木造、像高73.3cm。
32.985928
132.93916
530
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木造大威徳明天像
国指定の彫刻 寄木造、彩色、彫眼、像高水牛座とも161.5cm。
33.54659
133.57735
531
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木造愛染明王坐像【竹林寺】
国指定の彫刻 寄木造、彫眼、彩色、像高103.5cm。(鎌倉時代)
33.54668
133.57733
532
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木造千手観音立像
国指定の彫刻 寄木造、玉眼、漆箔像、像高88.2cm。土佐では唯一の千手観音像。
33.546642
133.57733
533
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池家文書
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石田英吉邸
石田英吉は、天保10年(1839年)、医者の家に生まれた。近隣の高松順蔵に経書を学んだ。文久3年(1863年)脱藩以来、天誅組の挙兵や禁門の変で忠勇隊に属して活躍した。龍馬の手紙に石田英吉の名はしばしば見え、龍馬とはゆかりの深い人物。龍馬の亀山社中・海援隊に加わり、ユニオン号の砲手長や土佐藩船横笛の船長をつとめた。維新後は農商務次官や貴族院議員、高知県知事などを歴任した。
33.497128
133.99876
535
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氏仏堂
椿山地区の中央にある氏仏堂は屋根の葺き方や堂内部の装飾などに特徴があり、内部の彫刻には平家ガニがあしらわれてる。
この堂内には梁が逗子を上から押さえつけ、その下には古来より開けることを禁じた“不開(あかず)の箱”が置かれており、梁を動かし氏仏堂を解体しない限り開けられないことから、平家に伝わる宝刀や落人が奉持した氏仏像が収められているなど、様々な言い伝えが残されている。
33.675323
133.14435
536
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掛川神社
33.578903
133.5577
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宿毛貝塚
32.936028
132.71367
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加茂神社
入野郷の総鎮守。
33.022755
133.01457
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関川家住宅
国指定の建造物
土佐の平地型豪農家の典型で肘屋造。表門、主屋、道具倉、米倉等が残存。文政2年(1819)の建築
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安政地震・津波の碑
宝永4年(1707)の宝永地震、安政元年(1854)の安政地震に伴う津波の犠牲者追善と、その被害の教訓を後世に伝えるため、安政5年(1858)に地元有志によって、津波の汐先に近く四国遍路の通路であるこの地に建てられたものである。碑の本体は、直径約32cm、高さ約66cmの砂岩の円柱で、前面に「南無阿弥陀佛」と大書し、残りの全面には当時の状況と教訓が詳細に刻まれている。
33.45556
133.43805
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土佐の獅子舞(中川内獅子舞)
室戸市羽根町にある羽根八幡宮の秋の大祭にて、奉納される。県の無形民俗文化財として指定されている。
近年は行われていない。
33.36672
134.05827
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植木枝盛誕生の地の碑
自由民権運動に加わった理論的指導者の植木枝盛の生誕地に建つ碑。枝盛が構想した「東洋大日本国国憲按」は、最も民主的、急進的な内容であった。「自由は土佐の山間より出づ」は枝盛の残した言葉として有名。
33.558716
133.51343
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野村茂久馬翁の頌徳碑
高知県の海運・陸運の発展に貢献し、土佐の交通王と呼ばれた実業家・野村茂久馬翁の頌徳碑。生まれ故郷である奈半利の田園を見渡す多気ヶ丘公園にある。
33.4332
134.0294
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高天原古墳群と高間原古墳群
高知市大津から介良にかけての古墳群。6世紀中頃から7世紀に築造された横穴式石室の墳墓。高間原古墳群の副葬品中に多数の農工具を含んでいた。出土品の一部は、高知城懐徳館等に陳列。
33.567772
133.61125
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銅剣・銅矛
銅剣38.8cm、銅矛34.9cm、青銅(弥生時代)。
現在、高知県立歴史民俗資料館で委託保管をしている。
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