安徳天皇陵墓参考地あんとくてんのうりょうぼさんこうち

安徳天皇が眠ると伝えられる荘厳な陵墓参考地
源平の戦いに敗れ、従臣たちと四国の各地を潜幸(せんこう)した幼帝・安徳天皇。最終的に越知町横倉山に辿り着き、同地で暮らすも23歳で崩御されたと伝えられている。

全国にある陵墓の参考地として宮内庁から指定されている5ヶ所の内の一つで、安徳天皇が従臣たちと蹴鞠をして遊ばれた所とされ、“鞠ケ奈呂陵墓参考地”とも言われている。

横倉山の奥で静かに佇む陵墓参考地は、どこか厳かな雰囲気。111段の広い立派な石段を上り詰めた所にあり、御影石の二重の玉垣によって取り囲まれている。

また、西隣の平坦地は安徳天皇が乗馬の練習をされたと伝えられ、“御馬場跡”と呼ばれている。
名称
安徳天皇陵墓参考地
(あんとくてんのうりょうぼさんこうち)
所在地
781-1300 高岡郡越知町高岡郡越知町横倉山
交通アクセス
高知市から横倉山第3駐車場まで車で約20分。 駐車場から安徳天皇陵墓参考地まで徒歩で約40分。
お問い合わせ
越知町観光協会
電話:0889-26-1004
ファックス:0889-26-1004
最終更新日 2016年04月18日